開かれたラジオ/あかしゆか【連載エッセイ「わたしとラジオと」】
インフルエンサーや作家、漫画家などさまざまなジャンルで活躍するクリエイターに、ラジオの思い出や印象的なエピソードをしたためてもらうこの企画。今回は編集者・ライターのあかしゆかさんにラジオの思い出を綴っていただきました。
今暮らしている東京のアパートは、窓を開けるとそよりとした心地良い風と共に、隣人が流しているラジオの音が部屋に入ってくる(今の季節は特に気持ちがいい)。ああ、またお隣さんがラジオ聞いてるなあ。ぼんやりとそう思う度に私は、京都の実家で過ごしていた幼き日々を思い出す。
私の実家は小さな民間車検工場で、1階が工場、2階がおばあちゃんと(今は亡き)おじいちゃんの家、そして3階が私たち家族の住む家、という作りになっている。
1階の工場では昔から、毎日大きな音量でラジオがかかっていた。おじいちゃんやお父さんは、それを聴きながら車の下に潜って黙々と作業をする。そのラジオの音は窓から3階にある私の勉強部屋まで入ってきて、学校のない土曜日の昼間は、その音を聞きながら勉強をするのが習慣だった(実家の工場は休みが日曜日だけで、土曜日もお父さんたちは仕事をしていた)。
土曜日の昼下がりにいつも流れていたのは、ローカル局のオリコンチャート番組。関西弁の、声の綺麗なお姉さんの心地よいMCと共に、その週のオリコンTOP50曲が、数時間かけて紹介されていく。まだウォークマンやiPodなどを持っていなかった私にとって、週に1度聞くそのラジオ番組は、流行の音楽を知るための情報源だった。
東京にいるときはアプリでラジオを聴く
スキマスイッチの「全力少年」やスピッツの「春の歌」などが、たしか当時はオリコンの上位を占めていて、それらの音楽は私のラジオの記憶と紐づいている。そしてたまに、その曲を口ずさんでいると、「その曲今日ラジオでかかっていたね」などと、家族でコミュニケーションが生まれたりした。
私の周りでは、ラジオは「自分だけの世界に浸れる」だったり、「パーソナリティが自分だけに語りかけてくれている気がする」だったり、そんな「閉じられた」空間の良さとして伝えられる場面によく出くわす。
もちろん私もそういう楽しみ方をする時もあるけれど、私にとってのラジオはどちらかといえば、みんなで同じ声や音を共有し、コミュニケーションを生んでくれる「開かれたもの」としての魅力の方が強い。それはひとえに、私のラジオの記憶が、実家のあの勉強部屋で聞いていた、開かれたラジオにある所以なのだろう。
先日、とある取材で港町へ行った。商店街にはラジオがかかっていて、穏やかな港町に似合わずAboの「うっせぇわ」が流れていた。
「この街に、うっせぇわ、はちょっと合わないね。」
「たしかに合わないね。」
「でもなんか、合わない曲がかかっているのがまたいいね。」
取材班で、そんな会話が自然と生まれる。予期せぬ言葉や音楽に拍子抜けしてしまったり、笑ったりしてしまうのも、またラジオの一興だと思う。
開かれているラジオには目的がなく、だから故にゆるやかなコミュニケーションを生んでくれる。私はそんな開かれたラジオが好きだし、これからも楽しんでいきたいなと思う。
岡山での相棒はこちらの「豊作ラジオ」
最後に。先月から瀬戸内海で本屋をはじめたのだが、店内のBGMをラジオにしてみた。「ラジオ、いいですね」と、お客さんから言っていただくことが驚くほどに多い。
今は静かな本屋の空間に、春の終わりだというのになぜかアナと雪の女王の主題歌が流れている。店に入ってきたお客さんの「え?」という顔に、ふふふ、ラジオっておもしろいでしょう、と、心の中でニヤニヤするのだ。
あかし ゆか/京都出身、28歳。大学時代に本屋で働いた経験から、文章に関わる仕事がしたいと編集者を目指すように。 現在はウェブ・紙問わず、フリーランスの編集者・ライターとして活動をしている。最近の興味は食と地方。2020年から東京と岡山の2拠点生活をはじめ、2021年4月、瀬戸内海にて本屋「aru」をオープン。
llustration:stomachache Edit:ツドイ
(こちらはTBSラジオ「オトビヨリ」にて2021年5月21日に公開した記事です)