僕とラジオと、謎のおじいちゃん/原カントくん【ラジオ生活史】
インフルエンサーや作家、漫画家などさまざまなジャンルで活躍するクリエイターに、ラジオとの思い出や印象的なエピソードをしたためてもらうこの企画。今回登場いただくのは、編集者であり『金曜ボイスログ』にもレギュラー出演されている、原カントくんさんです。学生時代を過ごした京都での思い出とともに「嫌で嫌で忘れたかった……」というラジオにまつわる記憶についてつづっていただきました。
自分にとって忘れられないラジオ体験——。
このお題をもらった瞬間、ある光景を思い出した。でもそれは決して、毎週、熱心に枕元でチャンネルをあわせた深夜番組でもなく、旅先のカーラジオから流れた番組でもなく、むしろ逆に力づくでも忘れたいラジオ番組だった。
僕は学生時代を90年代の京都で過ごした。大学では、うっかりお洒落な響きに惹かれてラクロス部なるものに入ったものの、そこは意外にもヘルメットと鎧をつけて殴り合うハードコアなスポーツの体育会で上下関係は絶対。一回生といえば、先輩たちの“ちょっと言葉の喋れるペット“のごとき存在だったのだ。
そして僕が一回生の冬の頃、「就職活動に専念する」という理由である先輩から受け継いだバイト(拒否権無し)が、当時、京都にできたばかりだった24時間営業の大型ショッピングモールの駐車場の深夜誘導バイト。
誘導と言っても、自分にそもそも免許もなく交通ルールは信号の色以外はゼロ知識。目の前を通り過ぎるクルマから「〇〇に行くにはどっちの方向ですか?」と聞かれても、香川県の田舎から出てきたばかりでチンプンカンプン。まるで大渋滞のロータリーのど真ん中で、デタラメな手旗信号を送り続ける通信兵のごとき状態で、バイト就任早々、現場に大混乱をもたらしてしまった。
いやーめっちゃ怒られた!客にも上司にも怒られた。お金払っても辞めたいバイトだったが、辞めると紹介してくれた先輩に倍返しで怒られること100%必至のため、なんとか働き続けるほかない。
そして冬の京都はメチャクチャ寒い。しかも深夜立ちっぱなしである。
90分間、真冬の京都の路上に立ち続けたあとはチアノーゼ寸前。プールサイドで震える小学生のような唇の色で一旦事務所に戻り、一時間ほど休憩して仕事場に再び戻るのだが、事務所には何故かいつも60代の初老のおじいちゃんがいた。
そして、このおじいちゃんが謎だった。いつもラジオを聴きながら座ってお茶飲んでいるだけで全く働いているところを見たことがない。しかし何故か、バイトの上司や同僚が異常なまでに気を遣っており、この現場の絶対的な権力者であることは明らか。深夜の夜食も、このおじいちゃんが食べ始めるまでは誰も食べず、彼がお茶を飲み干すまでに食器を片付けておくことがお約束になっており、さながら漫画『カイジ』における大槻班長のような牢名主っぷりだ。
特に直接的な危害は加えてこないのでそれは良いのだが、僕が最も苦痛だったのが、このおじいちゃん、聴いているラジオ番組が、何故か深夜のトラック運転手向けの懐メロ番組固定なのだ。
当時の僕からしてみたら、人気芸人の深夜放送や、最新のヒットチューンが流れるFM番組に猛烈に変えたくて仕方なかったが、当然、チャンネル権は彼にしかない。
90年代の最も音楽が売れていた時代に、八代亜紀、石川さゆり、都はるみ、北島のサブちゃんを強制ヘビーローテーションで朝まで聴かされる大学生の気持ちがわかるだろうか。
当時は、事務所でそのラジオ番組のジングル聴くだけで軽いPTSDを発症しそうだったが、なぜだろう。この原稿を書いているうちにふつふつと当時の記憶が愛おしくも蘇ってきた。
当時、自分がいしだ壱成や武田真治に憧れて、乳首が浮きでんばかりのピチピチTシャツを着て街を歩いていた黒歴史、京都の寺町のカフェで働いている女の子に夢中になって、頑張って口説いてつきあえたこと、その後、彼女に「好きな人ができた」と速攻フラれ、ショッピングモールで誘導中に、スカしたおじさんが運転する高級車の助手席に座っている彼女を目撃したこと——。
嫌で嫌で忘れたかった記憶が、なぜか、森進一の『襟裳岬』をBGMに愛おしくも蘇ってくる。そう僕にとっての90年代のBGMは『今夜はブギーバック』でもなく『SWEET 19 BLUES』でもなく、昭和の懐メロなのだ。
ラジオって不思議だ。昔の曲でも、ラジオの電波にのってスピーカーから流れてきた瞬間に今の時代の曲になる。パーソナリティの何気ない一言で、海外の曲も自分の街の曲になる。
AIが選んだストリーミングサービスには生まれない一瞬の魔法が確かにそこにあった。僕はこれからも今日を満たすためにラジオを聴くだろう。
しかし改めて、あのおじいちゃんは何者だったのか・・・それだけが、いまもって謎である。
原カントくん
編集者・本屋B&B運営。TBSラジオ『金曜ボイスログ』にもレギュラー出演中。
Illustration:深川優 Edit:中前結花、ツドイ
(こちらはTBSラジオ「オトビヨリ」にて2022年8月17日に公開された記事です)