ピアニスト清塚さんと、甘く、困った恋人。【連載エッセイ「TBSラジオ、まずはこれから」】
エッセイストの中前結花さんが、さまざまな番組の魅力を綴るエッセイシリーズ「TBSラジオ、まずはこれから」。思い起こせばピアノがずっとそばにあった……『清塚信也 Xタイム ラジオ』を聴いて、思い出されたピアノへの想いを綴っていただきます。
ピアノとわたし
思えば、ピアノとわたしの関係は複雑だ。
物心のついた頃から白と黒の鍵盤は、わたしの目の前にあった。弾くのをやめると、
「わからへんの?」
と台所の母が心配そうに、声をかける。
母はピアノや譜面など習ったことのない人だったけれど、ピアノ教室で「毎日、自宅で練習するように」と言われていたわたしのためにと、一生懸命に独学で勉強をした。わたしが演奏に躓(つまづ)いたり、楽譜の前でただぼんやりとしていると、
「どこがわからへん?」
夕飯の支度をする手を止めて、わざわざ隣に座って「どれどれ」と一緒に楽譜を見て、自分で恐る恐る弾いて見せる。そして、
「こうかな? できる?」
母の手元をじーっと見るわたしを、覗き込むようにして尋ねた。
思い返せば、本当はわからないのでも、できないのでもなかったように思う。わたしにとってピアノは、ただとてもとてもつまらなかったのだ。
先生の「注意!」といった書き込みだらけの譜面を見ながら、良く知らない曲を奏でるため、チントンチントンとただ鍵盤を押し込んでみる毎日だった。ほんの3歳や4歳の頃の話だ。
ラジオを聴いて、湧き上がるもの
あれから30年近くが経った。
そしていま、わたしは土曜早朝の『清塚信也 Xタイム ラジオ』(5:30から)をradikoで繰り返し繰り返し聴いている。
番組の中で、ピアニストの清塚さんは目の前に鍵盤を置いてその場その場にふさわしい、あるいは急に思いついた音楽を即興で奏でては「かき氷をイメージしてみました」「夏の食事に出かけるとき、みたいなね」と、とても楽しそうにおしゃべりをされている。
そんな清塚さんの、くるくるとリボンが見事にほどかれていくような演奏とおしゃべりを聞くたび、わたしの胸では
「はたして何十年もかけ、わたしはピアノと何をしているのだろうか」
と、なんとも言えぬ不思議な気持ちが湧き上がってくるのだ。
はたして、“ピアノ”とはいったい何なのだろうか。
本当になりたかったもの
幼稚園生の当時、同じクラシックでも踊るバレエは好きで仕方なかった。
ピアノと同じ3歳から始めた、もうひとつの習い事だ。
言われなくても部屋の中を飛び跳ねるように練習したし、毎週お友だちと会うのも楽しかった。
一方で、ピアノはひとりぼっちで先生にみっちりと叱られるばっかりだ。やがて、本当は毎日家で練習することが先生との約束だったはずなのに、見かねた母が、
「火曜日と木曜日と土曜日だけにしようね」
「短い時間でがんばろう」
そう言って見過ごしてくれるようになり、ついには
「次の発表会でピアノのお教室は辞めよね」
と、期限を“数ヶ月後”と決めてくれた。
「うん、そうする」
わたしは母が、話のわかる大人で本当に良かったと思った。
もともとピアノに特別な思い入れがあるわけじゃなかったのだ。
同じ幼稚園の子たちが習い始めるタイミングで、母に
「ゆかちゃんもやりたい?」
と尋ねられたものだから、よくわからないままに「ふん」と頷いただけのことだった。
バレエのように、テレビを見て虜になり、
「ゆかちゃん、これやる」
と、ねだったわけでもなんでもない。わたしの夢はバレリーナだったのだから。
最後の発表会に
けれど、最後のはずのピアノの発表会も、毎年のようにテロテロとしたサテンのフリルの洋服を着せてもらったところから、やっぱりわたしの心はコロンコロンと転がるように揺れてしまう。
母に上手に髪を結ってもらい、洋服と同じクリーム色のリボンを結んでもらった。
祖父母も来てくれ、「かわいい」「かわいい」と写真に収めると、ピンク色のお花がいっぱい入った花束まで渡してくれる。
順番がそろそろ回ってくる頃になると、真っ暗な舞台の袖で、文字通り胸の近くがドキドキと大きく動いた。うずうずした気持ちを抱えながら、慣れない革靴の先が“きゅっ”と痛くて、それが少しだけ心地いい。
直前の子の演奏が終わると、会場は拍手に包まれる。
名前を呼ばれて、いつもは恐ろしい先生に「行っておいで」とやさしく背中を押されると、舞台では、さーっとライトの光が放射状に自分に降り注いで、前がよく見えない。そんな中でも窓から鳥が放たれるみたいに勝手に体が動いて、なんとかツツツとつま先をピアノ前で止めると、客席の方を向いて、母に言われた通りに「1、2、」とお辞儀をした。
そして家のとも教室のとも違う、少し硬くて色の薄い鍵盤を、練習と違わぬよう一生懸命に押し込んで音を鳴らす。
演奏中は一瞬のようにも、気が遠くなるほど長いようにも感じられた。それはとても不思議な時間だ。そして最後の音をダーンと鳴らすと、ふっと胸を撫で下ろす。無事にひとつも間違わずに終えることができたものだから、思わずパッと客席に母の顔を探すと、母は手を振りながらにこにこと頷いてくれていた。他のものは目に入らない。
また「1、2、」とお辞儀をして、拍手をいっぱいに受けながら、さーっと小鳥は舞台袖に戻っていく。そして驚くことに、この時にはすっかりと心変わりをしているのだ。
「やっぱり、ピアノ続けよっと」
母は呆れたように「本当に?」「続けるの?」「やめないの?」と何回も聞いてくれたけれど、わたしは「やっぱりやるの」と祖母に買ってもらったドーナッツで口の中をいっぱいにしていた。
わたしは緊張をしながら人前に出て、何かを見てもらうことが大好きだった。
そして終わったあと、「上手やったね! ゆかちゃん、すごいわあ」と母に抱きしめてもらうのが、もっともっと好きだったのだ。
永遠に共に……
そして「発表会に出たいから」という、1年にたった5分ほどの快感のために、わたしはその教室に実に7年間も通った。
ついに辞めた理由は「引越し」だ。物理的に引き離されないことには、わたしはピアノを辞めることができなかったのだった。
ところが、その引越した先でもお友だちが通っているピアノ教室を、またも「見学してくる」と言って、勝手に見に行ってしまう。
「お教室いく」
と言い出すわたしに、今度こそ母は仰天して、
「ゆかちゃん……もしかしてピアノ好きなの?」
と聞いた。そう尋ねられてしまうと、特に好きでない気もするし、けれども離れてしまうほど、わたしたちは嫌い合っている間柄でもないように思えるのだ。
結局……。ついにわたしは、13年間もピアノを習い続けてしまった。
さらに、驚くことにわたしたちの逢瀬はそれでは終わらなかった。
ひとり就職のために上京した部屋でも、わたしはなぜか少し大きめのキーボードを無理をして買った。もう教科書はないけれど、休日にはSMAPと宇多田ヒカルだけを右の指でポロンポロンとよく弾いた。
「両手で弾けなきゃ、つまらないな」
そしてまたもや東京で教室を探し、なぜだかわたしはピアノを習い始めてしまうのだった。
けれども、結果はかつてと同じだ。
やっぱりわたしのもたもたとした手は、曲のテンポにちっとも追いつかないし、まったく上手くなんてならなかった。そのうち、通うのが億劫になってくるのだけど、それでもどうして、わたしはピアノを辞められない。
ついに、仕事に追われその波が週末までも巻き込んでしまった頃、いよいよ「2ヶ月間お休みします」と伝え、やがてそのまま辞めてしまうことになる。
わたしの、長いピアノとの25年以上の付き合いが、ここでようやく終わった。どんなに離れても、ただ導かれるように鍵盤の前に戻ってしまう、そんな下手っぴなわたしとピアノの長い物語はこれで終わったのだ。
そう、終わった。終わったと思っていたのだけど……。
甘い手招き
清塚信也。
この人が、いま、またも何かとてつもなく甘く強い力で、強引にわたしの袖を引っ張ろうとするのだ。
始まりはただ、テレビで『ワイドナショー(フジテレビ)』を見ていて、“ピアニスト”のイメージそのままの出で立ちながら、驚くほど“おしゃべり上手”な意外性に「おもしろい人だなあ」と眺めていただけだった。そして、ご自身の想いをきれいな言葉できれいに伝え切る人だなあ、という印象もあった。だけど、本当にそれだけのことだ。
けれど、このエッセイの仕事をするようになって、TBSラジオの番組表をもらうようになる。するとそこに“清塚信也”の文字を見つけたのだ。
「清塚さん、ラジオまでしているの……」
そんな出会いで、ほんの興味本位で聴きはじめたのが、この番組だった。
ところが、わたしはこの30分間の虜になってしまう。
清塚さんの演奏を聴いていると思うのだった。
ピアノとは、こんなに自由で、まるで言葉でも話せるようにこんなにもおしゃべりなのだ、と。もちろん清塚さんはプロのピアニストで、その才能と鍛錬の賜物を大事に抱えているからこそ、何にも縛られず自由に遊ぶような演奏ができる。それはそうと、わかっているのだけど、だけど、やはり思ってしまう。
「ピアノって、こんなに楽しいのか」
番組のタイトルにもなっている「XTIME」(エックスタイム)とは、音楽用語で尺を決めずに自由に表現する時間、ということらしい。
その音は、流れるようで、ほどけるようで、くるくるとまるで踊るようだった。
「こんなふうに楽しく弾いてみたい」
そんなふうに思いながら、わたしは自分の手元を改めてじっと見る。
眠れない夜、radikoで聴く清塚さんの流暢で上品な話し声とピアノの音色は本当に心地が良かった。
「こんなふうに弾いてみたいけれどなあ」
またもやそんな想いを膨らませながら、ベッドに頭を沈ませ音楽と一緒に眠りにつく日々だった。
出会った『キャンディ』
そして、つい先日の放送のことだ。
リスナーからのリクエスト曲として、とある曲が流れた。それは、清塚さんも親交のある三浦大知さんがカバーして歌った名曲『キャンディ』だ。
松本隆さんのトリビュートアルバムに収録されたその曲は、ピアノ1本でアレンジされていて、原田真二さんが歌う原曲の儚げな魅力を損なわないまま、もっと大人でなんだか甘い特別な心地があった。「“耳を奪われる”とはこういうことか」とわたしは久々に思う。清塚さんは、
「カバーって違和感を楽しむものだけど、発声を寄せずに、自分のものにしてるよね」
と解説してくれた。
そうか。曲を、音楽を、「自分のもの」に……。
何かを一生懸命見ながら、譜面を一生懸命なぞりながら、誰かの手元を真似ながら……。そんなやり方では到底たどり着けない、自分の中からこぼれるような音楽があるのだろう、とこのときわたしは初めて思う。
そして、もしかすると。
もしかすると、このスローなテンポなら、わたしのもたついた手でも、弾くことができるかもしれない。上手くはなくとも、形になるかもしれない。さらに本当は、叶うことならば、こんな甘い歌詞を口ずさんでもみたい。
—— キャンディ アイラブユー 目覚めてよ
ゆっくりゆっくりピアノを鳴らしながら、この曲をわたしは歌ってみたい。「この曲を……」と、そんなふうに初めて胸で感じたのだった。
わたしは、急いでクローゼットの中からキーボードを引っ張り出す。清塚さんが、わたしの片隅になぜだか長く住み続けるピアノへの想いをまたも引っ張り出したのだ。
好きかどうかはよくわからない。けれども、離れたくてもどうにも離れられない。
“困った恋人”にも近いピアノと、わたしはまたも向き合ってしまう。何度も何度もこんなふうに。
なんだかずっと離れがたい、そんな飴玉みたいなピアノの音色を、今日もradikoで聴いている。今は「またピアノに触れてみるしかないのだろう」と、そんなふうに思っている。
清塚さんから溢れ出す音楽を、耳でゆっくり溶かすように味わいながら、ベッドでそんな甘い想いに今夜もひとり浸っているのだった。
中前結花/エッセイスト・ライター。兵庫県生まれ。『ほぼ日刊イトイ新聞』『DRESS』ほか多数の媒体で、日々のできごとやJ-POPの歌詞にまつわるエピソード、大好きなお笑いについて執筆。趣味は、ものづくりと本を買うこと、劇場に出かけること。
llustration:stomachache Edit:ツドイ
(こちらはTBSラジオ「オトビヨリ」にて2021年9月8日に公開した記事です)