走りたい人と走り始めた人の話(前編)
2019年11月に、自身のnoteで右半月板損傷・右大腿骨軟骨損傷という怪我を負っていると発表した須河沙央理。ただ、怪我をしている間も、須河は多くの人と出会い、自分のできることに精一杯取り組んでいます。
怪我で思うように走れない須河が、人に誘われて出席した勉強会でファシリテーターを務めていたのが、組織開発ファシリテーターの長尾彰さん。長尾さんは「宇宙兄弟 完璧なリーダーは、もういらない。」「今いる仲間でうまくいく 宇宙兄弟 チームの話 」といった本の著者でも知られ、多くの企業やスポーツ団体をチームビルディングしています。
ランナーと組織開発ファシリテーター。あまり接点のない2人の対談は、須河さんの怪我の状況から始まりました。
怪我の状況
長尾 マラソンを走りたいと考えて20年。東京マラソンは4年連続落選。そんな僕が今日は「マラソンランナーに話をきこう」と思って、ここに来ました。
須河 私はマラソンランナーじゃないです(笑)マラソン以外の自己ベスト記録は、全て高校1年生のときに出した記録です。自分の記録をなかなか超えられなくて、でも自分自身の殻を破りたくて、マラソンに挑戦しました。マラソンランナーと言えるほどではないですね。
長尾 でも、いまオトバンクの陸上部ですよね?
須河 そうですね...。
長尾 でも、怪我が治ったらレース出たいと思ってらっしゃる?
須河 出たいと思ってます。
長尾 どの種目に出ようと思っているんですか??100m?
須河 全くの畑違いです(笑)
長尾 400m?800m?それとも1,500m?
須河 1,500mよりも5,000mやハーフマラソンのほうが自己ベスト記録を更新しやすいと思っているので、まずは一番手の届きやすい目標にチャレンジしたいと思っています。ただ、先日(対談は2019年12月に実施)病院でレントゲンを撮ったところ、以前は右足の半月板損傷と大腿骨軟骨損傷と診断されたのですが、新たに「骨壊死(こつえし)」しているという診断を受け、復帰の目処が立たない状況です。でも、それはそれで、そういう人生かなと思っています。
診断を受けて、まず「骨壊死 ランナー 復帰」と検索してみました。ただ、あまり検索結果に表示されなかったので、それなら自分が前例になりたい。そう思って日々取り組んでいます。
なぜ走るのか
長尾 率直にいろいろ聞いてもいいですか?
須河 はい。
長尾 長い距離を走るのは好きですか?
須河 はい。
長尾 それに気がついたのはいつ頃ですか?
須河 小学校の高学年頃です。走ったら一番になれたこと、褒められるのが嬉しかったことが好きになったきっかけです。
長尾 怪我をして、骨壊死していると分かったのに、もう止めようということにはならなかった?
須河 たしかに「骨壊死している」と聞いたときは、年齢を考慮して引退も考えました。でも...なんというか、Googleで検索したら前例がなかったので、「じゃ、私が前例に」と思ってしまいました。人を勇気づけたいといったおこがましい気持ちはないのですが、誰かを元気づけられるんだったら、復帰して、走って、いい形で引退したい。いまはそう思っています。
長尾 素朴な疑問なんですけど、走るとすごく苦しくなりますよね。そこはどう乗り越えているんですか?
須河 走る時間は数十分しかないですが、そこで頑張り切れなかった悔しさは何十時間も続きます。「ここで頑張らなかったら、後からもっと自分は苦しい思いをする」と考えて、自分を奮い立たせています。走れない自分の方が嫌です。
長尾 止めようって思わないんですね。今日は調子が悪いからここでおしまいとか。
須河 ほんとに苦しくて、この練習をやっても次につながらないと思ったら、潔く止めて明日に備えることもあります。
長尾 レースを棄権したことはあるんですか?
須河 一度あります。それはレース中に大腿骨を骨折したときです。そのレースは走る前から痛くて、足を引きずりながら歩いていたほどだったのですが、駅伝だったため代わりに走れる選手が当時はいなくて…。
走る前は、恐らく興奮していて痛みを感じなかったのですが、走り始めたら痛みが出てきて、ジョギングくらいのペースに落として走っていたら「ポキッ」という音がしました。これはやばい…と思い、歩き始めたら数歩で「バキッ」という音がしてそのまま倒れて、救急車で運ばれました。
長尾 監督はそんな須河さんにどんな言葉をかけたか覚えてますか?
須河 覚えてないんです。病院に運ばれてもタスキをそのままかけていて、ユニフォームのまま寝ていたのですが、情けない顔を見られたくなくて布団をかぶっていました。
苦しいことから逃げる人、チャンスだと思う人
長尾 僕は、苦しいことや嫌なことから、全力で逃げるタイプなんです。どうしたら苦しくならずに嫌なことをせずに済むのか全力で取り組む、というか。須河さんからはそう感じないのですが、ご自身ではどういうメンタリティをしてると思っていますか?
須河 私はやばい状況に立ったら「これはチャンスだ」と思うようにしてます。他の人がなかなかしたことがないような経験をしていて、こんなに苦しい思いをするんだから、よい成績にたどりつけるはずと思いこませて、できるだけ逃げないようにしています。
長尾 そんなふうに考えるんですね。僕とは違う考えなので面白いです。
-長尾さんは全力で逃げるタイプですか?
長尾 全力でやりたくないことをやらずに済むために、どうすればよいか24時間考えるタイプです(笑)
須河 私もやりたくないことはやらないとスパッと決断するタイプですが、走ることに関しては逃げちゃいけないと思ってます。他の事からは結構逃げてます(笑)
長尾 走るためにやらない、という選択肢を選んでいることってありますか?例えばどか食いしないとか。ピアニストやギタリストだったら指先痛めるからボウリングをしない、といったようなこと。
須河 バドミントンやスキーもしていたのですが、走ることがメインになってからはちょっとでも怪我のリスクがあるのでやらなくなりました。
長尾 ハイヒール履かないとかもありますよね。
須河 あー、ハイヒール全く履かないですね(笑)楽だからですが。
走らなかったらワタシは今日1日ブスになる
長尾 この対談の前に、全力で1,500mを走ってみたんです。普段は週1〜2のペースで、ストレス発散を兼ねて小一時間走ってるんですけど、何の準備もせずに、全力で1,500m走ってみたら、凄く苦しくて。高3のときのタイムが5分20秒くらいだったので「7分くらいかな」と思ったら、実際は8分50秒かかった。
でもそのタイムを見たとき、恥ずかしくなかったんです。誰にも頼まれずに、誰からも強制されずに全力で走ったのは初めてで、ちょっとだけランナーと呼ばれる人の気持ちが分かったような気がしました。「走れ」って言われなくても、全力で挑戦できたことで得られるような「すがすがしさ」を、ずっと積み重ねてきた人は、どう感じているのだろうかと。
ただ、1,500m走ってから、今日まで1週間。ここまで走ってないです。理由は寒いから、眠いから、疲れているし、忙しい。いろいろあります。須河さんはこういう気持ちをどう乗り越えてるんだろう。具体的な方法や工夫が知りたいです。
須河 私のいまの状況は、競技者というより、一般的なランナーに近いので、長尾さんと同じような状況です。でも、毎朝走ってるんですよ、足痛いんですけど(笑)
長尾 え?骨が折れてるのに走ってるんですか?
須河 治療院の先生からも「適度に動かしたほうがいい」と言われているので走ってるんですけど、おっしゃるとおり、朝は寒いですし、布団は温かいです。走らなくてもいい理由はたくさん見つかります。
でも走らなかったら私は一日ブサイクな人間になると思っているので、絶対に起きて走ります。私は「今日一日ブスな人間になるかそうではないかは、走るかどうかで決まる」と思っているので、走るって決めたら、すぐに外に出て走ります。
長尾 僕は朝起きて服を脱いだ瞬間に萎えるんです。
須河 走るときの準備も日々競争だと思ってますし、走る前にちょっと補強トレーニングをして、「ここを意識して走るんだ」と意識してから走るようにしてます。
長尾 あー、分かってきた。結局僕に足りないのは「専門性」。専門性とは、知識と技術と体験だ。走り方が分かってないんだ。どう走ったらどれだけ走れるのか、自分のフォームがどうなのか、自分の身体に何が起こっているのか、誰からもフィードバックもらってないから分かってないんだ。
須河 走ることって「難しい」と思っていて、私はずっと競技をやってきたのでフィーリングで分かる部分もあります。でも、きっちり理解して言語化できていないといざ経験の少ない人に教えるのは難しいと思います。
長尾 自分の身体に起きていることは伝えられるけど、その人の身体におきていることを、外側の人が言葉でフィードバックするのは難しいですよね。
ってことは、僕はコーチをつければいいのか。
でも、周りにコーチングを勉強している人がいるので、よく実験台になるんですけど...自分でやるからいいやって思っちゃうんですよね。フィードバックを人に頼めば上手くいくのは分かってるし、ひとりきりでやっていたらうまくいかないし痛い目にあうのは分かっているけど、自分でやらないと気がすまないんですよね。探している答えをひとりで見つけたい、というか。
-長尾さんの口癖は「いいよ、一人でやるから」ですからね。
長尾 組織開発ファシリテーターとして、チームビルディングの仕事をしてるのは、「いいよ一人でやるから」って本当は思ってないのに口にしちゃって「どうしたらいい人に上手に頼れるようになるだろうか」って考えるようになったのがきっかけなんです。
須河 いまの長尾さんを形作っているものが何か、分かったような気がします。
怪我の状況、そしてなぜ走るのか。2人の話は何気なく始まり、少しずつ「競技」「アスリート」「仕事」といったテーマについて切り込んでいきます。
走りたい人と走り始めた人の話は、後編に続きます。
(聴き手/編集 西原雄一)