思うこと
皆さん、お疲れ様です。こんなに辛いのに生きてて偉い。
14列目の上手側の席のチケットが一枚ありました。でも飛んでいきました。私が贔屓を、贔屓だと認識してからの一番前方の席になるはずでした。
私の初観劇は「ポーの一族」でした。宝塚ファンの知り合いが12列目の良席に座らせてくれて、私は白く発光しながら銀橋を渡るエドガーを見ました。センターでソロを歌う当時名も知らぬ花売り少女の贔屓が可愛かったのも覚えています。群舞でアランが「バァン!」と銃を放った時、「あ、撃たれた」と白目をむきました。劇場を出て、同行していた母親と、後に我が聖地となるとは思いもよらずに劇場前を駅に向かって歩きながら、「エドガー派? わたしアラン派~」とかのんきな会話をしていました。気が付いたらポーの一族の原作漫画を全巻買い込んでいて、気が付いたらYouTubeでSMAP×SMAPでの花組コラボを見ていて、そこでようやく自分が宝塚にはまっているのだと自覚しました。
母親が厳しかったので、しばらくは秘密にしていました。代わりに、友達を捕まえて例のYouTubeを見せまくり、「闇広げてたのにパンケーキ食べて遅刻するギャップ~」と布教しまくっていました。財布に初観劇のチケットの半券を大事に仕舞っていて、財布を出す場面が来るたびに友達に「これわたしの初観劇の時のチケット!!」と見せびらかしていました。引かれました。それは今も大切に、プリクラと共に財布に眠っています。
母親に打ち明けたのはなぜか、北海道旅行で訪れたレストランでパンケーキが来るのを待っているときでした。
「あの~……実は……」と、初めて好きな人ができた中学生みたいな気持ちになりながら、宝塚にはまってしまったのだと絞り出しました。私はそれまで特定の趣味を持ったことも、こんなに一つのことに夢中になったのも初めてで、本気だったから緊張していたんだと思います。母親は「いいんじゃない」と言ってくれて、そのうち二人で一緒にオンデマンドで映像を見るようにもなりました。
「仮面のロマネスク」を見た時でした。そこにセシルという純情で可憐な少女がいて、それが音くり寿でした。白いフリルに囲まれた細い首が初々しくて、卵型の輪郭が柔和でかわいらしくて、とても美しい声で歌うのです。
天使。天使って、いたんだ……。
次に見たのは「金色の砂漠」で、これが私の〈復讐の美学〉のツボを生むことになるのですがそれは置いておいて、天使はシャラデハという我儘な末っ子姫でした。
え……? かわいすぎるが……?
私は必死に「MESSIAH」のチケットをもぎ取って、二度目の観劇へ乗り込みました。明日海さんを見るのだ。おとくりちゃんを見るのだ。
これは自慢なのですが、ショーでおとくりちゃん?と思ってレンタルしたオペラグラスを覗くとおとくりちゃん。その次も、その次も、ちゃんとおとくりちゃん。約半年をかけ、私は映像を見ながら「おとくりちゃんセンサー」を身に着けていたのです。そのおかげで、それからの観劇も難なくおとくりちゃんをロックオンすることができ、毎公演1回きりと決めていた観劇もおとくりちゃんを堪能できたのです。
本当は延々とそれぞれの役について語りつくしたいところですがやめておきます。今ここで話したいのは、今の私の気持ちです。
私は、何か衝撃的なことが起こっても平然としていられるタイプです。地震が起きても、雷が近くに落ちても、第一志望の大学に落ちても、病気になっても、「あ……そう」と言って済ませてしまう人間です。多分、自分が狼狽えたり感情を露わにしたりする姿が嫌いなんだと思います。それに想像力がド根性だからか、何か起こってもポジティブな連想が浮かんでくるという幸せな性質もあるからなんだと思います。
そうはいっても、人生で絶望に陥ることはあります。その中でも特筆すべきなのは、おとくりちゃんの退団発表でした。
それまで何度も、「叶うかもしれない」と思ってきました。
音くり寿が、大きな羽を背負って、最後から二番目に階段を降りる姿を見ることが叶うかもしれない、と思ってきました。
その日は自己満だと思いながらも泣いて、大して応援できていないじゃないかと思ってまた泣いて、おとくりちゃんの決断を勝手に想像してまた泣きました。
私は、一人で遠征しようと決意しました。果たしてそれは叶って、宝塚大劇場でおとくりちゃんを見ました。その時は東京公演のチケットも確保していて、最後ではないと何の根拠もなしに観劇していました。
ラプリュナレド伯爵夫人のことは私が書いても書ききれることじゃないので書きませんが、大好き……怒る音くり寿……女神の鉄槌……ほっぺ……おでこ……。
ショーも、もう、なんなの……あんな「音くり寿の百科事典」みたいにばんばんどんどん出してくださってもう……ありがとうございます……。
ああ、私これをもっと前の席で観れるんだな。楽しみ、うふふ、るんるん。
それがこれ。
え…………?
二度目の絶望。私の感情はともかく、私の天使がどんな思いでいるのか。
こうやって書いても、なんにもなりませんが、きっと皆さんも同じ思いですよね。やるせないし、行き場がないし、どうしようもないことだし、誰も悪くないし。一番辛いのはおとくりちゃんたち花組生と、スタッフと、生田先生と、稲葉先生と、宝塚に関わる方たちだし。この無力感と虚無感って、何かに似てるな、って思ったんですけど、そんなこと考えるのも疲れたので、今日は栄養を摂って、好きなことして、ずっと起きていようと思います。
宝塚の演目って、どんな悲劇でも最後は何かしらの救いがあるものですよね。私はそれをピカルディー終止と呼んでいるのですが、4日が長三和音の明るい音で終わることを願っています。願わずにやってらんない。劇団さん、頼みます。私の天使の退団公演やぞ……コロナてめえ……今度顔見たら路地裏に引きずり込んで2度と人の前に出れねえ顔にしてやる……家に帰っても玄関に起爆装置付けておくから覚悟しとけ……
アッ、スミレコード……
皆さんも、体と心を休めて、共に千秋楽を迎えられますように……
ありがとうございました。