祖父の死を迎えて
いきなりですが最近祖父が昇天しました。
これは葬祭に向かう新幹線の中でふと色々思い出しながら書いています。
祖父母との関係性は各々の家庭で様々ですが、自分は父も母も福岡県出身で両親の実家と自分の実家(中部地方)とは距離がありました。それでも小さい頃は毎年お盆の時期によく帰っており、近所でよく蝉を大量に捕まえてきて見せびらかしたり100匹段ボールの中に詰めてそれを家の中で放したりしたことを覚えています。僕たち兄弟はとんでもないクソガキでした。
小学校卒業以降は2~3年に1回くらいしか会っていませんでした。祖父ですが、自分の子(うちの母)にはとても厳しい教育(まあ体罰とか)をしていたようで、亭主関白で野球の試合の結果で機嫌も変わるとか色々怖いエピソードを聞かされていたので、こちらも帰省時には緊張しながら関わっていました。話す時もこちらは敬語だし、何か深い話をしたり一緒に体を動かしたような思い出はありません。更に呼称もおじい様でした。
そんな深いとは言えない関係性でしたが、1つ今でも明確に記憶している昔の思い出があります。昔の記憶なので不正確な部分があるかもしれません。
それは2006年の12月、そう、Wiiの発売時期の頃です。Wiiはゲームキューブの後継機として発売され、スタイリッシュな本体と無線接続・直感的な操作が可能なWiiリモコンが特徴で当時PS3やXbox360と並んで新世代ゲーム機の顔といえる存在でした。懐かしいです。
Wii発売当時は多くの人が家電量販店に行列を作り、品薄続きで再入荷の告知が出るとまた店の前に行列が続き・・・の繰り返しだったように思います。自分の地元のイオンでは既に売り切れており、早く新作ゲーム機を触りたい気持ちのまま年末に家族で福岡に帰省していました。そんな中、チラシでたまたまWiiが祖父母家近くのイオンで再入荷するらしいと親から伝えられ、冬の早朝から並ぶためカイロや厚着などを準備して兄弟でワクワクしながら就寝しました。
朝起床すると、なんと祖父が自分達より早く起きており、寒空の中午前4時半からイオンに並んでくれていました。医師であった祖父は生真面目で、ゲームや漫画なんかはくだらないからダメ、勉強だけしろと言って子供達に教育をしていたことを母から聞いていたので、孫のゲームの為に早起きしてイオンに既に立ち並んでいる話を祖母から聞いた自分はとても驚きました。パジャマ姿のまま兄と祖父母宅を飛び出して6時過ぎに自分たちがイオンに着く頃には既に40人以上の行列ができており、もしかしたら購入できなかったかもしれません。ですが祖父のおかげでWiiを購入でき、年始は兄弟二人で部屋に籠ってゲーム三昧でした。
(今考えたらあの大きな箱持って帰るの相当大変だったと思う)
母親からも本当に孫には甘いと言われていましたが、思い返してみれば祖父は自分や兄弟に対しては本当に優しかったです。自分で言うのもなんですが孫ってそんなに可愛いのかな。
そんな祖父でしたが、自分が最後に会ったのは5年前で、1人で九州旅行をするついでに家に泊めさせてもらった時でした。
祖父はその時には認知症がもうだいぶ進行していて、自分を兄と間違えたり、1分前に聞いたことをもう何度も何度も繰り返すような感じで、「さっき言ったよ・・・。」という感情になり、でも祖父を邪険には勿論出来るわけもなく会話するだけで結構辛く、正直老人介護の大変さを身に染みて感じたことを覚えています。きっと、孫が欲しい新作のゲーム機の為に早朝に起きて寒空の中何時間も並んでくれたこともまともに覚えていなかったと思います。なんとなくその帰省があってから、面倒な気持ちというか、もうしばらくはわざわざ祖父に会いに行かなくてもいいかなという気になってしまっていました。
そして時が経ち、今、自分はかつての祖父と同じ医者になれました。
祖父は昨年新型コロナウイルスに感染したことをきっかけにみるみる体力が弱ってしまい、自分が医者になってからは一回も会えずに亡くなってしまいました。忙しくまとまった休みが取れなかったことは事実ではありますが、多少無理をすれば顔見せくらいはできたはずだと今では思います。自分は充実した人生を送れており、それは勿論母を始めとした自分の両親や友人のサポートによるものですが、祖父も孫の自分達の成長をいつも遠くから見守ってくれていたと思います。
そんな祖父に今の社会人としての自分の姿を見せたり、まともに感謝の言葉も伝えれないまま生涯の別れを迎えてしまい非常に惜しい気持ちです。医者を誇りに思っていた祖父が、自分の孫が自分と同じ職業に就いたと知ったらさぞ喜んでくれたことと思います。
どれだけやっても最後に悔いは残るものという話はありますが、親を含め大切な人にはせめて会えるうちに会っておこう、
親孝行もできるうちにやっておこうと改めて感じました。