父 緊急搬送される
父と付き添いの母を乗せた救急車。
私は弟が運転する車に乗り込み、救急車の後ろをついて行くことに。
が、救急車が動き出さない。
搬送先が決まらないらしい。
救急車の中の母から、家にある父さんの病気の資料が入ってるバック持ってきて、と連絡があり
それを取りに帰ってもなお、搬送先が決まらない。
20分近く経過しただろうか。
やっと車が動き出し、搬送先の病院へ。
(後で聞いたが、わりと早い方だとか。受け入れ拒否、なんてニュースも聞くけど、世の中はもっと大変らしい。)
救急車の出発を待つ間、私はだんだん胃が痛くなってきて耐え難くなる。
救急車はぐんぐん先に行ってしまうので途中薬局に寄り胃薬を買いに行く。
急がなきゃと思って胃薬どころじゃない、と思っていたけど
これは長い戦いかもしれないから、胃薬は飲んでおけ、と弟の判断。
その通りの長期戦、ここで解決しておいて正解だった。
先に病院についた母と合流。
父は救急車の中で2度の心肺停止。
家族は待合室で待っているようにいわれたとのこと。
救急の処置室があるフロアで、右にも左にも部屋がある。
待合室には我が家だけ。
ただ、救急の処置室には父以外に、もうひとり処置を受けている人がいるようだ。
交通事故かなにかで運ばれてきたて、意識はあるし受け答えもしっかりしていて看護師さんとのやりとりの会話なんかも聞こえてくる。
(後にこの話が再浮上することとなる。)
まるでドラマのように響き渡る心電図の音。
処置室のバタバタも伝わってくる。
でも、どこかで安心している私がいて
なんとか生きて、ここまで運ばれてきたんだからもう大丈夫じゃないか、と。
治療に関わる同意書などにサインをさせられながら待機。
これは長期戦になりそうだ。
スマホをみたら会社から電話。状況も説明したいし、少し電話してくるかな。
病院の外で電話をしていたその時、弟が顔色を変えて飛んできた。
弟: 心肺停止、覚悟してくれって
もうなんて言って電話を切ったのかの記憶もない。
待合室に戻ると、泣き崩れる母。
お父さん死んじゃうの?
救命の治療室には、これが父の心電図の音じゃないかというのがわかる音が響いていて
時に止まり、電気ショックのようなものを与えられているのもわかる。
処置室を移動して、行き来する父が時折視界にも入る。
治療中にも不整脈が起き、3度心肺停止を繰り返している。
その度に電気ショックで戻ってきているが、
次に起きたらわかりません。覚悟をしてください。と。
数十分前まで、なんか大丈夫なんじゃないか?って思っていたのから急転。
よくないことばかり考えさせられてしまう。
財布の中に入っていた高尾山の厄除けのお札に、
車の鍵についてる交通安全祈願のお守り。
とにかく持ちあわせていたありとあらゆるお札を握りしめ、とにかく泣きながら祈る時間が続いた。
病院に着いてから4時間半。
看護師: 救命病棟に移動します
この言葉がなんなのかよくわからなかったけど
とりあえず急ぎの処置は終わって、大丈夫ってこと?
残念ながら大丈夫なんてことはなくて
予断を許さない状況は続いているらしい。
発熱の原因は、コロナでもインフルでもなくて
血液の中に細菌が入り込んだのではないか、とのこと。
どこから入ったのかなど原因は不明。
こんな時代じゃなかったら。。。
咄嗟に頭をよぎったのはその想い。
父は、苦しかったに違いない。
発熱をしたら、発熱外来へ。
今の時代それが当たり前になっているけれど、それで手遅れになることがある。
そんなニュースはたくさん見てきていたつもりだったけど、、、まさか自分の父もそうなるなんて。
なんでもっと早く普通じゃないことに気がついてあげられなかったんだろう。
もっと早くに救急車を呼べたんじゃないか。
後悔しかない。
病院で必要な手続きを終え、一旦帰宅。
帰り道、母と弟と3人でスシローで食事。
何をしていてもみんなが涙。
絶対大丈夫。そう思っていても、涙が止まらない。
あんなに悲しい食事は、人生初だった気がする。
家に帰れば父が倒れた玄関の光景が蘇る。
夜も横になると、隣の母のすすり泣く声が聞こえ
私も涙が止まらなくなる。
その日は深く寝たような、寝てないような。
長い1日が終わった。
ここから、私の長い実家生活が始まることになる。