ごめんねじゃなくてありがとうと言おうと決めた日
私には泥酔すると気心が知れた友人に電話をしてしまうという悪癖がある。
ある日、いつもの如く泥酔電話をしてしまった翌日に親友から送られたLINEが心に残ったのでnoteという形で残しておこうと思う。
みんな酔ったら取っちゃう変な行動ってある?
私は酔いが周り、気持ち良くなるといつもの3倍ほどおしゃべりになってしまう。
平常時でも人よりおしゃべりな自覚があるが、酩酊時の私は呼吸をするように言葉を吐く。
むしろ呼吸する暇があればしゃべっている。
ちなみに、違う話を展開する分には、聞き手側としても多少は面白いのだろうが、極限まで酔いが回ると私は同じ話を4ループほどするらしい。
それに付き合ってくれる友人は現世で徳を積みすぎているので、来世では偶然温泉を掘り当てて大富豪になってしまうとか、たまたま空から降ってきた宝くじを拾ったら3億当たったとかいう幸運が訪れてほしい。
話の内容については、支離滅裂な時とちゃんと会話として成立していることもどちらもあるらしい。
”らしい”というのは、私本人は基本的に話した内容を覚えておらず、すべて伝聞だからである。
ただ、基本的に友人曰く、喋り方やワードチョイスで酔っているのか正気なのかは分かるらしい。
そんなおしゃべりな性格がもたらす、私の厄介な悪癖のひとつが泥酔電話である。
一緒に飲んでいる飲みの場で饒舌になるのであればさほど大きな問題はないだろう。
むしろ、私が酔っているということは、相手もそれなりに酔いが回っているはずなので、揃って上機嫌で楽しく会話ができるはずだ。
しかし、ひとたび飲み会が終わり解散してしまうと、当然ながら私は一人になってしまう。
でもまだ話し足りない。
となると電話をかけてしまうのだ。
じゃあ話し足りれば電話をしないのか、という話になってくるが、そういうわけでもないらしい。
むしろ、話したい欲求を満たす方法が私の中で解決できていれば、この悪癖は滅殺できている。
いまだかつて私の中の話したいという欲求が満たされたことは基本的にない。
飲み会に対して満足していてもしていなくても関係ない。
私は話そうと思えば、いつまででもしゃべり続けられるおしゃべりモンスターなのだ。
誰が聞くのかという話になってはくるが、仮に私が24時間ラジオ的なものを担当させていただけるのだとしたら、きっと完走できる気がする。
つまり飲みの場でいくら話したとて、目の前に人がいなくなった瞬間にまた話したい欲求が湧き上がってくる。
我ながら厄介極まりない特性である。
そして、泥酔電話のとんでもないところは、電話相手は基本的にシラフであるということだ。
飲んでいた人間に電話をかければ良いのだが、なぜかその場にいない人間に電話をかけてしまう。
よくよく考えれば理屈が通る、先ほどまで一緒に飲んでいた人間とは十分に会話を交わしたので、次は会っていない人間と話がしたいのだ。
そして、私が飲み会終わりに電話をして、まともに電話に出てくれる人間はそれまでに酒を飲んでいないだろう。
泥酔状態の人間は通常電話に出れない。
突然電話が鳴ったかと思えば、電話口の相手は上機嫌で呂律が怪しい、しかし電話を受けた人物の側は通常運転。
テンションの落差が果てしない。
月とすっぽんなんていうちょっとよく分かりづらい例えがあるが、酒を飲んだ明石家さんまとシラフの栗原類ぐらいのテンションの差と考えれば分かりやすいのではないか。
果たして、明石家さんまさんが酒を飲んでも饒舌なのかは知らんが。
もしかしたら、プライベートの栗原類さんは我々が知らないだけでテレビで見るフワちゃんぐらいのテンション感なのかもしれないが。
話は逸れたが、基本的に私の愛しい友人の皆様は有事でなければ電話を取ってくれる。
聖人にもほどがある。
泥酔電話常習犯の私からの電話に懲りることなく、深夜であっても起きていれば基本的に電話を取ってくれるのである。
正気か?
何を食べたらこんなに懐が広い人間育つんだ。
酔っている時には自分の「話したい」という欲求を優先させてしまうが、後日シラフで会った時には、申し訳なさが勝り、「もう私の電話取らなくていいからね。何か緊急事態であればちゃんとLINEして都合聞いてから電話するからね!!!!」と釘を刺している(?)が、何度でも何時でも電話を取ってくれるのだ。
幸か不幸かそんな優しい友人に恵まれていることで私の悪癖はしばらく治りそうにない。
大反省の謝罪LINEを送ると予想外の返信が返ってきた
ある日、かれこれ10年来の付き合いになる女友達とのサシ飲み終わりに、例の如く大学時代の友人に電話をしてしまった。
そして例の如く電話を取ってくれたのだ。
翌日LINEを確認すると、23時に私からかけた電話が終了したのは深夜3時。
私は翌日何も予定がなかったから良いのだが、友人は朝から仕事に向かったらしい。
どうやら私が泣いたり、弱音を吐いたり、かなりしんどそうにしていたため、ずっと電話に付き合ってくれたのだそう。
ちなみに、当の本人である私はまったく覚えていないのだが、誕生日を控えてまた1つ歳を取ることがとてつもなく嫌だったらしく、誕生日が来て欲しくない、27歳になんてなりたくない、このまま歳を取らなければいいのに、ということを延々と嘆いていたようだ。
望む望まないに関わらず、残念ながら誕生日は1年に1回誰しも平等に訪れてしまうので諦めて受け入れろ、というアドバイス以外にかける言葉がない。
そんな結論がはなから出きっている悩みを深夜に相談されていたそうだ。
頼むから来世と言わず、友人が現世でその徳が還元されるような出来事に恵まれますように、神様お願い。
私の徳ポイントあげるから。
そんな優しさが天衣無縫の極みまで到達してしまった友人に、平日で仕事もあるのにとんでもない時間まで付き合わせてしまって申し訳なかった、仕事が終わったらアイスでも食べて、今日はゆっくり寝てくれというような謝罪LINEと共に、LINEギフトでハーゲンダッツのギフト券を送った。
そんな大反省LINEに対する返信文に私は面食らった。
「え〜全然いいのに、謝らないで。でも、謝罪じゃなくて”お礼”ということでありがたく受け取るわ!ありがとう!」
というような内容だったのだ。
どんな人生経験を積んだらこんな言葉が出てくるんだ。
このLINEを読んで、ふとこんなことを思った。
電車で席を譲ってもらった時など、他人に親切にされた時、「ありがとう」ではなく、「すみません」と言ってしまうことが多いなと。
頭の中では感謝をしているし、感謝の念を伝えようとしているのだが、申し訳なさが先立ち、謝罪を意味する「すみません」が口をついて出てくる。
もちろん、謝罪を優先して伝えるべき場面はあるが、謝罪よりも感謝を伝えるべき場面には、「すみません」ではなく、ちゃんと「ありがとう」と反射的に言えるようになりたいなと思った。
いつも私に特大の愛情を注いで優しくしてくれている友人各位、本当にありがとう。
でも、もう深夜の私の電話は取らなくていいからね、本当に。