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私はじゃんけんが弱い
私はじゃんけんが弱い。
どう弱いかと言うと、私が初手で出すのは必ずと言っていいほどグーなのだ。
いやいや、わかっているのであれば出す手を変えろよと思うだろう
私自身そう思っている。
しかし、咄嗟にじゃんけんを仕掛けられると、どうしても私は手をギュッと握ってしまうようで、いつも決まってグーを出してしまう。
ちなみに、桜美林大学の芳沢光雄教授が行った1万1567回のジャンケンデータによると、最も多く出されたのがグーで35%、続いてパーで33.3%、最も少なかったのがチョキで31.7%という統計が出ている。
心理学的には、「人間は警戒心をもつと拳を握る傾向がある」とか、「チョキはグーやパーと比べて出しにくい手である」と説明できるそうだ。
つまり、じゃんけんにおいてグーを出す人間が最も多いので、パーを出せば勝率が上がるということだ。
まとめると、私は大多数に漏れず、無意識にじゃんけんではグーを多用するので、パーを出す戦略的な人間にいつも負けてしまう。
大学生の頃、私は当時付き合っていた彼氏とテーマパークに行った。
お台場にあるJOYPOLISである。
私は昔からこういったエンタメ施設が大好きだ。
しかし、男の子はそうでもないのだろうか。
彼氏はあまり乗り気ではなかった。
しかも、JOYPOLISに二人で来るのはこれが二度目だ。
一度目は都合で夕方からの来園だったので、全てのアトラクションに乗ることができなかったとはいえ、二度目だ。
私は一度目だろうが二度目だろうがどんな場所でも新鮮に楽しめるが、そもそも乗り気でない人間が、乗り気でない施設に二度も訪れているのだ。
そりゃあ不機嫌になりたくなる気持ちも頷ける。
とはいえ、いざ到着し、一緒に遊び出すと結局二人揃ってはしゃいで楽しんだ。
そして、時間はあっという間に過ぎ、帰宅時間に。
私たちがそれぞれ住む家とお台場はそれなりに離れていて、二人とも電車で1時間半ほどかかる。
行きはよいよい帰りは辛い。
デートが楽しければ楽しいほど、帰り道は憂鬱である。
そして、こんなことを言っては人生の諸先輩方から右フックが飛んできそうだが、丸一日テーマパークをうろうろすると、20代前半の若さを以ってしても、やはり脚が悲鳴を上げる。
そんな帰り道の話。
私はじゃんけんが弱い。
お台場からそれぞれの帰路に着くために、私たちは電車に乗った。
心身ともにクタクタな我々の前に一つだけ空席が。
椅子取りゲームよろしく、私はすぐにでもその席に飛び込んでしまいたかった。
いや、ちょっと待った。
今日JOYPOLISに行きたいと願ったのは私である。
そして、彼氏にはそれに付き合ってもらったという恩義と負い目がある。
そんな思いからか、私はこのひと席を彼に譲りたいと思った。
「座っていいよ」
そう伝えた私に対して
「座れば」
顎で席をクイっと指し、彼も同様に空席に私を座らせようとしてくれた。
さて困った。
この空いた席にはどちらが腰掛けよう。
一日中歩き回って、よくある慣用句さながら、脚が棒のように疲れ切っているカップル。
目の前には一つの空席。
私は己が座って楽をするよりも彼氏に座って欲しかったのだ。
私は自他共に認めるワガママ女である。
物事が自分の思い通りにならないと不機嫌になる。
時には、彼氏にその不機嫌を撒き散らしてしまうことさえ。
そんなワガママプリンセスな私。
正直今すぐにでも私がその空席に自分の腰を下ろしたい。
しかし、今日ばかりはプリンセスと言えど訳が違う。
私はその日一日ワガママを言い尽くしたのだ。
そもそも、JOYPOLISに来たいと言ったのも私のワガママだった。
ワガママ娘にも、いくばくかの良心はある。
それを私なりに示す方法が、今日一日乗り気でないデートに付き合ってくれた彼氏に電車の空席を譲ることだった。
しかしお互いに一歩も譲らない。
どちらも座らない。
放っておいたらそのまま誰かに座られてしまう。
どちらも座らず、その場からどきもしないとなると、それはそれで他の立っている方からの視線が突き刺さる。
そんな折にふとひらめいてしまった。
私はじゃんけんが弱いのだった。
そして、長いこと一緒にいる彼氏は当然そのことを知っている。
私がじゃんけんの初手でグーを出してしまうことを、知らないはずがないのだ。
実際、その習性を利用され、これまで何度彼とのじゃんけんに敗れたことか。
普段であれば、じゃんけんに負けることは私のプライドが許さない。
しかし、今回ばかりは状況が違う。
「じゃあ、じゃんけんで勝った方が座ろうよ」
そう持ちかけたのは私だ。
負けるために勝負をけしかけた。
私はどうしても彼を椅子に座らせたい。
今日一日の感謝の気持ちも込めて、とにもかくにも座って欲しいのだ。
勝ってくれ。
祈るまでもない。
当然私が負けるのだ。
私がグーを出し、彼がパーを出す。
いつも通りの光景だ。
「最初はグー、じゃんけんぽん」
結果は、私の負けだった。
私はひざに彼の荷物を抱え、握り棒に頭をもたれた。
そう、私は負けた。
「最初はグー、じゃんけんぽん」
私はいつも通りグーを出した。
今回ばかりは、意図的に。
彼がパーを出すとわかっていたから。
結果は私の想像と違った。
彼の手はチョキを出していた。
じゃんけんにおいて、初手で出されることが最も少ない手、チョキ。
彼は間違いなくチョキを出していた。
私はグーで、彼はチョキ。
私の勝ちである。
私は思わず顔に出してしまった
“なんでパーを出さなかったの?”
驚いた顔だったろうか、悔しそうな表情だったろうか。
パーを出さなかったことに対してなんらかの感情をあらわにした気がする。
するとだ
いじわるそうに口角を上げて笑っている男がいた。
私は負けたのだ。
その時私はすべてを理解した。
彼はすべてわかった上でチョキを出し私を勝たせた。
彼は私のじゃんけんの癖など当然知っていた。
そして、私がそれを利用して、どう思考するかも。
私は自身の負けを認めて、電車の椅子に腰掛けた。
そしてひざに彼の荷物を抱え、握り棒に頭をもたれた。
私が謀ったように、彼も同じように謀っていたのだ。
私が「私はじゃんけんの初手でグーを出す」という己の習性を利用したように、彼もまた私のそんな習性を利用したのだ。
きっとそんなところが好きだったのだろう。
そんな昔話を、ふと思い出した。
ちなみに、おそらく今の私も変わらず、不意にじゃんけんをしようと思うと、初手では高確率でグーを出すはずなので、何か重要な勝負をする際には、どうかじゃんけん以外の競技を用いて欲しいものです。
これを読んだ貴方はきっとチョキを出してね。