【崩壊3rd】32~35章 聖痕計画 解説
結論から言うと、聖痕計画とは「聖痕覚醒者を除く全人類を聖痕空間に取り込み巨大な聖痕を作ることで、聖痕覚醒者を70億人の知識と経験を持つ超人にしよう」という計画である。
聖痕とは
聖痕とは「染色体内にある対崩壊遺伝子のことを指す」というのがこれまでの理解だった。しかし最終章で語られた聖痕の本来の役割は遺伝子レベルで知識や経験を後世に受け継がせるというものだった。
そのきざしとも思える現象が28章にデュランダルがカスラナの聖痕空間に入ったときの出来事である。カスラナの聖痕空間に入ると、デュランダルは同じくカスラナの遺伝子を受け次ぐカスラナ家の人間(ジークフリートやテレサ)の経験を追体験することができた。このように本来の目的は遺伝子を受け次ぐものが代々蓄積してきた経験をもとに子孫を導くことであったと考えられる。
しかし世代が進むにつれて聖痕の遺伝子は薄まり、すべての人が聖痕空間にアクセスできるというわけではなく、限られた人々「聖痕覚醒者(とその候補者?)」のみが空間にアクセスできるようになった。
聖痕計画とは
聖痕計画はこの聖痕の特性を生かして、(1)夢を通じて全人類を聖痕空間に取り込み巨大な聖痕を作り上げることで、 (2) すべての聖痕覚醒者が各々の聖痕を入り口として共通した一つの聖痕にアクセスできるようにすることを目指した計画である。
ではなぜ70億人の知識や経験を取り入れるようにすることが、崩壊収束のための計画となるのかという疑問が出てくる。この答えはミステルが話していた「巨人の肩の上に立つ」という言葉にある。
わたしたちは知識や経験によって危険から身を守っている。例えば我々が日常生活を営む中で熱湯の中に手を入れないのは、そうすると手が大やけどしてしまうことを知っているからだ。しかし、わたしたちの知識や経験は限られているので、すべての危険を避けられるわけではない。そこでこれまで蓄積されてきたすべての聖痕の知識と経験を結集すればあらゆる危険を避けられるのではないかというのが聖痕計画の原理である。
聖痕覚醒者は聖痕空間を拡げる
聖痕覚醒者ではない人間の日常生活によって聖痕空間に新しい知識や経験が加えられる可能性は皆無に等しいといっても過言ではない。様々な失敗は結局のところ他の誰かがすでにしてしまった失敗である。遊びすぎて試験で落第点を取るのも、相手のことばかり考えて結局すれ違って学校の屋上で喧嘩するのも、(程度はどうあれ)この広い世界をみればどこかの誰かが過去に経験しているはずである。同じ経験であるため新しい知識もなくその情報はただの「車輪の再発明」、聖痕空間にとっては無駄である。
人間は結局誰かの過去の過ちを繰り返していくが新人類となった聖痕覚醒者は違う。聖痕計画を経た聖痕覚醒者はすべての聖痕並びに70億人の経験と知識を携えており、これまで経験がないため幾度となく間違えてきた選択肢を本能的に回避できるようになる。これまでと違った選択は新しい経験や知識を生むので提供できる知識や経験が増える、つまり聖痕覚醒者によって「聖痕空間は拡がる」のである。
物語によって紡がれる物語
過去の作品を知っているからこそその作品のコピーではなく新しい展開を紡げる。物語によって紡がれるイデア(聖痕覚醒者)による物語は新しい展開を生み,聖痕空間が提供できる知識や経験を増やすことにつながる。
聖痕計画の成就が崩壊収束になる理由
聖痕計画はもし終焉の繭がメイ博士の仮説通り「自分と同じような存在」を渇望しているだけだとすると、繭にとっても好都合な計画である。なぜなら新人類は聖痕を通じて失敗をすべての人に共有することができるため、同じ失敗を繰り返し続ける存在ばかりの今より格段に早く進歩するであろうことが容易に想像できるからだ。
これは同時に人類がメイ博士の考えた繭と似た存在になることを意味する。新人類(聖痕覚醒者)は聖痕を通じて知識や経験、個人の感情も(少なくとも部分的には)やり取りできる。これは限りなく彼らの同胞として近づけると言ことを意味する。
そのため聖痕計画は決して終焉の繭を壊し終焉を乗り越える計画ではなく、人間を聖痕覚醒者かどうかで選別して終焉が望む存在に近づくことを目指す計画である。そして終焉はすべての意思がつながり、互いの心に隔たりがないため一度そのネットワークに入ってさえしまえば、終焉の力も手に入るうえ争うことももうない。これが終焉の弱点である。
この弱点の話と同じようにもし終焉の繭に謁見したいのであれば、そのネットワークに入って中心部に行くしかない。この過程でキアナは終焉の律者になることを避けられない。
聖痕計画の問題点ーエリシアの反論ー
では聖痕計画の何が問題なのか。聖痕計画は全人類を一つの「集団」に変えてしまう。そこには簡略化した「存在」しかおらず個は存在しない。
文明とはなにか
文明が文明たるに必要な人は誰かという質問に対して、おそらく大多数の人は「統治者」や「市民」などといった回答を返すだろう。ここでポイントなのは決して「キアナ・カスラナ」や「エリシア」といった個人の名前は出てこないということだ。つまり、文明が成立するためにはその「役割を果たす人」が必要なのであって、決してある特定の個人が必要ということではない。
そうなればある個人を「代表」として選び、その役割を果たしてもらえばいいのではないかという発想に至る。例えばある「存在」(聖痕覚醒者)に現在の市民全員の知識と経験を与える。この「市民」は全市民の思いや知識・経験を引き継ぐので全ての市民を代表する理想的な存在(イデア)である。こうすると、文明には他の一般市民は必要なく、統合された代表「市民」(聖痕覚醒者)一人だけで十分である。そういう代表をすべての役割で作ればそれは文明といえるだろう。これが聖痕計画の「存在を文明の本質」とするという考え方である。
一方でそういう「存在」は「代表」として個人全員を代替できるものではなく、象徴と考えるべきというのが我々(キアナ側)である。そういう「存在」は確かに理想ではあるが、文明の象徴という域を出るものではない。象徴ということはつまりそういう理想的な存在以外にも他にたくさんの個人が文明には存在すべきだと考える。
エリシアの反論
この聖痕計画は13英傑を大事にしていたエリシアに真っ向から否定されている。聖痕計画はつまり13英傑が13人でも,5人でも,1人でも全く問題がないということである。聖痕計画が必要とするのは「勇敢な戦士」であり、決してエリシアやケビンといった個人でない。聖痕が伝えるのはエリシアやケビンが持つ戦闘技術や崩壊に対抗する意思であって、「13英傑も普通の人間で、それぞれが様々な思いを抱えて、不安を抱えながらも勇敢に戦った。だからあなたたちにもきっとできる。今度は乗り越えられる。」というエリシアのメッセージは届かない。
ケビンはメイ博士のことが好きだった、グレーシュはメビウスを「おばさん」と呼んでいた、13英傑みんなで一緒に映画を撮った…そういう思い出は聖痕計画にとってすべて「どうでもいい」記憶である。ひとまとまりにされた実用的な知識や使命ではなく、そういう13英傑の個人の「どうでもいい」物語を伝えるべきだと考えたエリシアが望んだのは「火種計画」であり、「古の楽園」だった。
艦長とは何者か
聖痕計画は崩壊3rdの世界を一つの物語として終わらせてしまった。しかしここで思いがけない副産物が出てくる。AI・ハイペリオンΛである。彼女は物語となった崩壊3rd世界を編纂し、我々プレイヤーをハイペリオンの艦長として招いた。
これは憶測だがおそらく本来の崩壊3rdの艦長は物語上で実在しており、ハイペリオンの艦長として多大な貢献をしていた。しかし、Aimerシステムによる同期を受け入れ、彼の人格意識はおそらく失われたか量子の海を漂うことになった(これが艦長時空の艦長?)。崩壊3rdに登場するキャラクターに対してプレイヤーはその生きざまや信念に感銘を受けていたし、ともに死線を潜り抜けてきた元艦長はキアナをはじめとした戦乙女に深い思い入れがあった。両者の戦乙女への思いが似ていたため、AIハイペリオンΛの使ったAimer(フランス語で“愛する”の意)システムで意識をつなげやすかった対象だったのだろう。
ただ完全に同期していないAimerシステムは艦長の存在を排除し、艦長は長い間「傍観者」であり、物語に影響を与える「登場人物」にはなりえなかった。しかし戦乙女への想いが積み上がり、徐々に元艦長と私たちは同期していき、34章ではAIハイペリオンΛに働きかけられるようになっていく。最後艦橋のキアナを見届けるとき、私たちプレイヤーと元艦長の思いが完全に同期し一人の登場人物として物語に影響を与えるに至ったのかもしれない。