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逃避行
「あんたのお母さん、可笑しいね」
婆様はロングのタバコをふかしながら、そう言うんだ。
婆様のタバコを吸う姿は、それはそれはカッコ良くて。
俺は婆様が何を言ったかなんて聞き流して、ただその姿をボーッと見つめてた。
これが唯一の、俺と婆様との思い出だ。
時刻は真夜中、ふと目が覚め俺はそんな事を思い出しながら煙草に火を付ける。
確かに母さんはちょっ様子がおかしいんだよな。
「やっべ」
3日後に、母親の誕生日であるのを思い出し、何も準備してないのを思い出す。
困った時の唯一の友、正臣だ。
「涼ちゃん?」
「何だよ、こんな時間に?」
「母さんの誕プレ忘れてた」
「3日後なんだよ」
「すっかり忘れてた!」
「あはは、涼ちゃん毎年忘れてるじゃんか!」
「うるさいよ、明日買い物付き合ってくれよ」
「嫌だよ、明日、やっとの思いで口説いたノンケの後輩とのデートなんだよ」
「俺だってノンケだろうが、俺とデートでいいじゃんか?」
「何言ってんだよ、あんた?」
「涼ちゃん、僕に微塵も興味ないじゃん?」
「ってか、涼ちゃんって男女問わず興味湧かないわけ?」
「かれこれ涼ちゃんと知り合って20年になるけどパートナーいたためしないじゃんか?」
「は?」
「顔も性格も申し分ないと思うんだけどな」
「めんどくさそう」
「それだけなの?」
「おん」
「ま、良いや」
「で、誕プレ何が良いの?」
「正臣に任せるよ」
「予算は?」
「五万」
「何歳になんの?」
「さあ」
「さあって、涼ちゃん」
「確かおばさん、去年54歳になったよね?」
「じゃ、55か」
「ま、じゃ明日銀座のスワロフスキーで待ってて」
「ブローチなんて良いんと思うんだ」
「スワロフスキー辺りだと予算内で結構素敵なの買えると思うよ」
「正臣がそう言うなら、行ってみるか」
俺と母親との関係はいたって普通。
特別仲がいいわけでもなく、悪くもない。
思い出も沢山あるわけでも無いのだが。
子供の頃、母親は恥ずかしい存在でしかなかった。
彼女は兎に角目立つ。
たかだか幼稚園の遠足で完全装備である。
鮮やかなワンピースにパンプス。
アクセントに高そうな、やたらキラキラしたネックレス。
彼女は決して自慢したいわけでは無いのだ。
ただ自分がその時、お召しになりたい物を選んでいるだけだ。
他人に合わせようなんて考えは微塵もない。
行き先は植物公園だと言うのに。
他の母君達は動きやすい格好にちょっとおしゃれなスニーカー程度だ。
昼食どきでは、皆んなレジャーシートを敷いてその上に座りお弁当を食べていた。
母親はというと、
「そこのベンチで頂きましょう」
「え?嫌だよ。恥ずかしいじゃん」
俺は、兎に角目立つのが嫌で、そんなふうに言い返した。
「何言ってんのよ?」
「こんな乾いた空気の中、地面でなんてご飯食べてたら、砂が風に乗って来てご飯が砂まみれになっちゃうわよ」
俺は拗ねたまま、さっさととベンチに座り飯を食べ始めた母親を睨み付けてた。
結局は、空腹にも母親にも勝てず、諦めて彼女の隣に乱暴に腰掛け、食べ始めたのだが。
終始、和気あいあいムードな他の親子を見ないように下を向いたまま、飯をかっこんだのをよく覚えてるな。
顔に熱がこもっているのを覚えているので、俺は顔を真っ赤にしていたのでは無いだろうか。
まあ、これが俺の母親と言う人物なのだ。
彼女の身長は165センチ位かな?
目鼻立ちはハッキリとしていて、不細工では無い。
まあ、美人でも無いと思っているけど。
育ちが良いのか、所作は美しいと思う。
何でもかんでもちゃっちゃっとこなすと言うより、スッとサッとこなす感じ。
いつもしゃんと背筋は伸びていて、目付きは鋭い。
ちっさい頃は睨まれると、彼女が言葉を発するよりも早く泣いて謝ってたな。
ま、反抗期に入る頃には、そんな攻撃に屈する事は無くなってたけどね。
俺の反抗期は小学校低学年で始まった様に思うな。
何でも気に食わないと喚き散らすようになったのををよく覚えてるから。
あの理不尽な怒りは、今でもハッキリと腹の底にあぐらを描いて鎮座している様に感じる。
今じゃ、滅多に物事に関して怒りを覚える様な事はなくなったな。
「文句あんならいつでもよってやんよ」
何て、俺が終始そんなオーラを放っているとは正臣談ではあるが。
俺はそんな気微塵もない。
たまに、自分で自分がちゃんと人間してんのか不安で押しつぶされそうになる。
人間、喜怒哀楽表現できる事って素晴らしく、大切なんだろうなとは分かっているんだけどな。
どうも何か感情が欠落している。
ま、これも正臣談なのだが。
俺も納得せざるを得ない。
俺が小学5年生の時、珍しく家にいた父親に連れられ、家族で東京へ行ったことがある。
この時はやたらテンションが上がりまくったのを覚えてる。
母親には、この一週間ほど前に、
「こう、来週末東京行くから予定あけときなさいね」
と言われて浮き足だった俺は、インターネットで東京を検索して動画を見まくった。
その街並みはまるで未来都市を思わせるもので、
緻密に計算され、細部までこだわって描き出されたCG動画のようだった。
「すげー、綺麗!」
俺は、アラを探してやろうと何度もその動画を繰り返し再生した。
何度見ても細部にわたりとてもリアルでいて、だがウソっぽい。
動画に映る人々はリアルな様で、その場に映る誰もが不釣り合いに見える。
こんなカクカクした世界に映る人々は誰しもが不潔な存在に思えたからだ。
ある意味、トリックアートでも見せられている気分にさえなっていたのをよく覚えている。
何度目かの再生で、ふとビルの窓の中に映る人を見つけた。
「ここまでこだわるものなのか?」
疑問に思いつつ、今度は道ゆく人々の影を見る。
大小様々な影、それは人々が実際に歩いている事を信じさせる。
下から見上げる建物はよく見ると所々汚れが見える。
それまで抱いていた違和感がスッと無くなった。
「これは本物なんだ」
と認めざるをえなくなった。
まあ、こんな事をこの時考えながらその動画を見てたのか自信は無いけれど。
今もその出来事をハッキリと覚えているので説明するとこうなっただけだけれど。
実際に東京に行った時の事はそこまで覚えては無い。
確かに、
「おー、すげえじゃん」
位に感動はしたと思うが、それよりも母親と父親の仲睦まじい姿に釘付けだった。
物心ついた頃には父親は単身赴任で滅多に会う事が無かった。
そう言えば、母親はこの時ツバのでっかい帽子にサングラス。
そして真っ赤なピンヒールという出立ちで、父はとと言うとブリティッシュスタイルのオーダーメードスーツ。母はそんな父親の腕にしっかり絡みついて仲睦まじく闊歩していた。
そんな2人は妙に目立っており、すれ違う人々は、
「おいおい」
って声が聞こえんばかりに振り返りヒソヒソしていた。
そんな2人と一緒と思われるのが恥ずかしくて、両親から心配されない絶妙な距離をサッサと計算しその距離を保って2人に見入っていた。
あんなにネットでは感動した東京は、実際にはそこそこで、唯一気に入ったのは地下鉄の駅だった。
駅の乾いたカビの様な匂いを生温い風が運んでくる。
それが何とも心地よかったのを今でも覚えているし、今でも好きだ。
東京へ移住を決めたのはこの思い出のせいだ。
母の誕生日の日、父が単身赴任先から帰って来た。
ちょっと豪勢な晩御飯。
とても細やかでありながらも素敵な誕生日になったのではなかろうか?
誕プレも喜んでくれたみたいだし。
ただ、ブローチを手に取って繁々と眺めた後、
「お気持ちだけで有難いわ」
とつけ返されてしまった。
本当に満面の笑みで嬉しそうだったのにな。
折角、正臣が選んでくれたのに。
何なんだろ?
本当、母は謎な生き物である。
次の日の朝食時、母親はおもむろに、
「お父さんが、昨日インコ食べちゃったのよ」
早口に彼女はそう言い放つ。
俺は口に含んでいた飯を豪快に吹き出した。
「えっ?」
母親は俺の質問は聞こえなかった事にしたらしい。
スルーだ。
こういう時は何を言ってもやっても、反応は期待出来ない。
なので黙って飯を続ける。
ただ俺は終始、父がインコをひっ捕まえて、毛をむしり、インコを調理して貪りついてる姿を想像してしまっていたが。
ちなみに、うちで飼っていたインコに名は無く、俺がガキの頃、欲しくて飼ったが、名を付ける前には飽きてしまい、母親が毎日世話をしていた。
彼女も名を与えるほどの思い入れは無かったみたいだ。
横目で母親を見ると、母はひょうひょうと朝食を食べていた。
特段変わったことなど無かったかのように。
何なんだろか?
ごく一般中年男性が朝からインコ食うか?
おもむろにタバコに火を付ける。
このいたたまれない、何ともモヤモヤする物を吐き出したくて。
が、父はその日の以来実家へ帰ってくる事は無くなった。
離婚したのかも知らない。
聞きそびれた。
生活に困ってる風は無かったから生活費は入れていたのだと思うけど。
数日後、俺は正臣を飲みに誘った。
何だか、新しい世界を見てみたくなったのだ。
「正臣、飲み行かんか?」
「どうしたの?」
「あばさん、誕プレ喜んでくれんかったの?」
「いや、わかんね」
「詳しい事は後で話すよ」
「30分で来れるか?」
「なる早で行くさ」
「いつもの所な」
1時間待たされた。
「遅いじゃねーか!」
「うるさい!」
「正臣、泡で良いか?」
「豪勢じゃん!」
「良いことあった?」
「まあまあ、マスター、ボランジェ」
「後、駆けつけいっぱいでパトロン、アネホで、ショットでちょ」
「正臣も駆けつけいっぱい、行っとくよな?」
「じゃ、ま」
「ねえ、涼ちゃん、おばさんの誕生日うまく行かなかったの?」
「わかんね」
「晩飯は、和気藹々と行ってたんだ」
「朝は早くに父さんは出てて、母さんと2人で朝食だったんだけどさ、母さん曰く、父さんがインコ食ったらしい」
「はいっ?」
「わからん」
「多分夫婦関係が終わったんだと思う」
「可愛らしい小鳥のような若い女にでも取られたんじゃないかな?」
「なあ、正臣、俺とやっちゃう?」
「何か行きずりじゃ無いのやってみたい」
「俺じゃ無理か?」
「涼ちゃん、本気なの?」
「涼ちゃんの事だから、明日になったら何事も無かったかのように振る舞いそうだし、ま、良いよ」
「じゃうち行こうか?猫アレルギーなのは頑張って耐えてくれよな」
「うーん、1日くらい頑張ってみるわ」
「緊張すんね?」
「いや、正臣だし、あんまし」
事の後、タバコを吸いながら、
「俺も可笑しいのかなー?」
「正臣、何かいい感じだった」
「正臣とならまたやっても良いかななんて思っちまったよ」.
「あはは、涼ちゃんは可笑しいよ」
「涼ちゃん、ノンケのくせしてまともな男友達僕だけだもん」
「ってか女友達もいないもんね」
「可笑しいったらありゃしない」
「良いんじゃん.涼ちゃんと僕良いパートナーになるかもよ」
「試してみよっか」
「猫アレルギーは何とか克服できれば良いんだけどな」
「もう!取り敢えず感情から逃れるのにタバコふかしまくるのやめて、しっかり言葉にする練習しなきゃね」
「そう言う理由でタバコって吸うのか?」
「俺は婆様に憧れて吸ってるだけのつもりだったんだけどな」
「どうもそう言う考えもあるらしいよ。」
「言葉に出来ない感情が湧いてくると煙草に逃げる人もいるらしい」
「正臣、セキセイインコって食えんのかな?」
「ばーか、あんなもん骨ばっかで肉なんてねーだろーよ」
「セキセイインコ食う文化なんて聞いたことなんかねーぞ」
「涼ちゃんの母さんも参っちゃってただけだって」
「そっか。」
「あん時の母さん本気だったけどな」
「あっ、煙草切らしてら」
END