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京都移住(3) 上洛2018、そして今へ

re就活~引っ越し準備

きっかけとなった有給消化での京都旅行、土地・人・様々な経験を得てから2年後。
ある程度心身の調子も整ってきたところで、定職への復帰を考えるタイミングとなり、それと同時に移住することを計画しました。いったん退職してからの再就職ゆえ、求人があればどこにでも住める状態。それまで住んでいた地から離れるのであれば、いろんなものがあって退屈しない街にしよう、と考えました。
まず住みたい土地の候補を挙げ、そこに出ている求人を探す。次の定職は、前職での経験を基に「働きやすさ」を重視。そのプロセスを経て、最終的に京都か福岡の二択まで絞りました。福岡もいろんなスポットがあり、ご飯も美味しく、交通の便も良く、住みやすく楽しいですからね。

福岡もねー、よかとこですたい
心のオアシス大濠公園
赤坂キューブリック 大好きなおしゃれ本屋さん


最終的な決定は、ピックアップした求人を見比べ、より現在の自分に合いそうなものを選びました。そう、それが京都だったのです。
そこから就職活動を行い、無事内定をいただき移住準備へ。
以前住んでいた場所は関西圏ではなかったので、久々の県外・長距離の引越しということになりました。

しかしまあ手続きってこんなに大変だったか?と思うほどたくさんありますね。手続き一覧をまとめてくれているお役立ちサイトなどを参考に、細かいスケジュールを立てて順番に片づけていきました。これからお引越しする方、チェックリストとか絶対使った方がよいですよ。
引っ越し業者の予約もかなり早くしておかないと繁忙期は押さえられないと聞き、内定が決まって速攻で電話。複数の業者で見積もりをしましたが、繁忙期に限ってはやはり大手がスタッフ、トラックともに数を揃えているので、結果として一番安くなりました(それでもウン十万円しましたが)。

京都で住む家を探すときも、1泊2日で探しに行ったので前の記事で書いたホステルノースキーさんにお世話になりました。泊まるなら必ずそこと決めていた。初めての自分の定宿。そんな存在が京都にできたことはとても嬉しかったです。が、移住してしまえば泊まることはなくなるので、そのときが最後になってしまいました・・・「嬉しい」から「寂しい」へ・・・。
ちなみにその時に時間が余ったのでいくらか観光もしたのですが、伏見稲荷大社で引いたおみくじが現状に恐ろしいくらい合うことが書いてあったんですよ。そして「方角」のところには、当時住んでいた地域から見たときにちょうど京都にあたる方角が書いてあるという。
もうそういうことやん、これ。

いざ上洛 京都へお引越し

2018年3月末。満を持して私は京都へ移住しました。
地方から都へ上がる・・・そう、「上洛」ですね。
上洛したんですよ私・・・いいでしょう?その頃はとにかく上洛って言いたくて言いまくりました。

京都への移動は、マイカーがあったのでそれを持っていかねばならず、高速のサービスエリアで車中泊しつつ陸路で向かいました。3月末の夜中のSAはとんでもなく寒かった…!
着いてから午前のうちには役所での手続きをしたかったので、京都には朝早く着くよう動いたのですが、関西に近づくほどに高速道路上にトラックがどんどん増えていったのに驚きました。さすが都市圏の物流網は違いますね。みんな朝早くからフル稼働。関西人の気質が垣間見えた気がしました。

京都到着すぐ
鴨川も桜が満開でした

引っ越し作業や諸手続きが無事終わり、桜満ちる中、私の京都生活はスタートしました。
とりあえず無事に移住できました、ということで伏見稲荷大社にお礼参りに行ったのですが、行ったのが夜だったんですよ。伏見稲荷大社~稲荷山は特に開山時間が決まっていないので24時間入れるんです。なにか怖いもの見たさで、せっかく来たしと思って千本鳥居を上へ上がっていきました。
誰もいない、鳥居の隙間から明かりが抜ける独特な雰囲気。
途中で牛・・・の柄の猫が出てきました。稲荷山近辺は野良猫が結構住み着いています。

闇夜に現れる牛の妖怪

もう少し上って四つ辻の手前くらいまできたとき、茂みの中からガサガサと音が。
狐か?イノシシか?!じりじりと距離を取りながら相手の出方を伺います。

のそっ、と現れたのはたぬきの親子。

お、おう・・・

数秒の交錯のあと、たぬきは山へ帰っていきました。
が、たぬきが出るようなレベルということはそれより上は他もいろいろ出る可能性があるので、人間が入れるのはここまでか、と思い下山しました。移住早々に野生動物にやられましたでは話にならないですからね。みなさんも低い山とはいえ夜の登山にはお気を付けください。すみません余談でした。

夜の伏見稲荷
鳥居の影が異界っぽい
絶対なんか出るここ
桜と京都の夜景 この先たぬき出現注意

”透明な病”と私のそれから

引っ越しの週明けから、新年度開始とともに新しい職場へ入職。仕事内容的にはそれまでと大きく異なるわけではなかったので、業務には比較的早く慣れました。
自律神経失調症の症状は完全に消えたわけではなく、新しい環境ということで要所要所に自覚できない緊張感はあり、お守りたるミントタブレットの力も借りながら、なんとか適応を図っていました。新しい職場はスタッフ数が多く、昼食は社員食堂があるのですが、知らない人が多い場所ではやはり胃が動かず、自部署で細々と食べるに留まりました。
新しい職場には病気のことは一切伝えず、入職後も言わないつもりでいたので、とりあえず慣れてくるまで待つことにしました。「前職をストレスで身体壊して辞めました」というのは、全くの新しい環境においてはあまり良い印象を持たれないと思ったからです。それまでの経験から、透明な病というのはやはり当事者でない限り理解されるのが難しい、その事実はおそらくどこへ行っても同じであろうと思います。しかしその時はそれまでと違って、こちらにも経験が積まれているわけなので、自分の限界や、何が良くて何が悪いのかをある程度知っている。自分との付き合い方の工夫がある。
できるだけホワイトな職場をセレクトしてはいますが、また同じ轍を踏まないように。
「可能な限りストレスを排除する」「我慢しない」「オン/オフをしっかり」を行動規範とし、それを徹底すると決めて人生の新章に挑むことにしたのでした。

その頃の高瀬川 この建物もなくなりましたね
立誠小学校 ホテルになる前です
清水寺近辺 土日の昼間でこれ 今が混みすぎなんですよ
清水寺 本堂修復中でした

”透明な病” 終章 

時は流れて現在。
環境を完全に変えたこと、職場選びに成功したこと、自分を守る術を身につけられたこと。
それらのおかげで自律神経失調症は増悪することなく、むしろ移住当時よりもかなり軽度になっています。そして京都の街を大いに満喫することができています。京都の風土が自分に合っていることもあると思いますが、ここまで導いてくれた数々の出会いに、いくつかの偶然に感謝を。そして自分の決断にも。

“透明な病”に苦しむあなたへ。
耐えることだけが正しいことではありません。変わることを、変えることを恐れないでください。
みんながみんな自由に手段を選べるわけではないのは承知の上ですが、思い切って鳥籠から飛び出してみるのも大いにありですよ。あなたに合う木に飛んで渡っていくもよし、もしかしたらあなたは鳥ではなく実は魚であって、水に飛び込むがよし、ということもあるかもしれません。
あなたを苦しめるものから逃げても、意外と失うものは多くありません。その先で得るもののほうが、真っ白な未来のほうが多いからです。

可能性を閉ざさないで、自分に正直に。困ったら何かに頼るのも恥ずべきことではありません。
このnoteも、そんな「何か」の一つになれたら幸いです。

シリーズは跨ぎましたが、ここまでで「透明な病」のお話は区切りとします。
今後は京都生活で行った場所や食べたものなどの記録を書いていければと思いますので、読者諸賢、お付き合いを今しばらくよろしくお願いいたします。

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