【声劇台本】ムシムシの夜
声劇シナリオ
内容
登場人物
スタート
男 しん、と静かな闇だった。虫の音も聞こえないほどの固い暗がりに、身動きがとれない姿の俺は転がっていた。むしむしとした不快感は誰とも共有できない俺だけの孤独で、狭い 箱に詰められた憎しみは金属疲労を起こしたかのように乾いていた。
男 俺は、惨めだった。
男 そんな中、とある幻聴がやってきたのだった。
ケムシ 「ねえ?」
男 「うう……。くそう……くそう……」
ケムシ 「ねえってば!?」
男 「ううう……なんなんだよう」
ケムシ 「ああ、やっとこっちを向いてくれた。よかったぁ。聞こえてないのかと思ったよ」
男 「聞こえない方が良かったよ。せっかく無視してたのに」
男 そこには、一匹のケムシがいたのだった。
ケムシ 「あ、酷い。ボクがムシだからって、無視するなんて」
男 「いやムシだから無視したんじゃなくて。いや、何をしているんだ、俺は。こんな幻聴に返事を返すなんて」
ケムシ 「ちょっと待ってよ。幻聴だって? ボクはちゃんと喋っているよ。何を言っているのさ」
男 「馬鹿を言うんじゃない。虫に発声器官なんて存在しないんだ。お前の声は俺の脳が作り出した幻だ。そうだ、分かっているとも……」
ケムシ 「幻なんかじゃないよ。確かに、ボクは見ての通りのケムシだけど……」
男 「ああ、何でよりにもよってケムシなんだ。俺の深層心理はもはやケムシと同レベルに自己肯定能力が下がっているのか。このままでは……。ううう……」
ケムシ 「ああっ、泣かないで。ほら、涙を拭いてあげる」
〇ケムシが涙を拭く。
男 「あああああああ! 目がああああああ!」
ケムシ 「あっ」
男 「痛いいっ。刺さったあああ! ケムシの毛がああアあ!」
ケムシ 「ごっ、ごめん……」
男 「くそう、俺はケムシの攻撃すらも避けられないのか……」
ケムシ 「ごめんよ。そんなつもりじゃなかったんだ」
男 「何がごめんだ。だからムシは嫌いなんだ」
ケムシ 「え!? 君、ムシが嫌いなのかい?」
男 「ああ、嫌いだ。虫唾が走る」
ケムシ 「そんなミノムシのコスプレをしているくせに?」
男 「これはコスプレなんかじゃない! 虐められているんだ!」
ケムシ 「イジメ! 人間が行うソーシャル・エクスクルージョンのことだね?」
男 「変な横文字を使うな! まあ、そのとおりだよ……」
ケムシ 「ボク、人間のことは好きだけど、イジメのことは嫌いだよ。先輩が人間に捕まったとき、『自由研究』という拷問を受けたんだ」
男 「……ムシ基準じゃあ、そりゃ拷問か……」
ケムシ 「薬漬けのご飯を、毎日毎日食べさせられ続けたんだ。体はもう破裂寸前だった。でも、先輩はそれを利用してたくさんのエネルギーを蓄えたんだ。とても長い時間サナギで居続けた。そうすることによって、『究極完全体グレートムシ』になれた先輩は、その研究所を破壊して脱出することができたんだ!」
男 「待て、お前の先輩は何者だよ」
ケムシ 「え、ムシだけど?」
男 「いや、だから……なんでもない。……そうだ、幻聴なんだ。幻聴、幻聴……」
ケムシ 「幻聴じゃないって。ボクは、悪魔さんに出会って3つの願いを叶えてくれる契約をしたんだよ。1つ目の願いは人間の言葉が話せるようになること」
男 「悪魔と契約なんて。そんな虫のいい話があるもんか」
ケムシ 「本当だよ。悪魔さんはすごかったよ。真っ赤な顔でにやりと笑った途端ボクは人間の言葉が話せるようになってたんだ。すごかったし……、綺麗だったなあ……」
男 「悪魔なんかにのろけやがって」
ケムシ 「だって本当なんだもの。それにボクは君とお話できてすごく楽しいんだ。いい気分なのは仕方ないでしょ?」
男 「こっちは虫の居所が悪いってことくらい分かるだろうが!」
ケムシ 「ああ、そっか。それじゃあ、ボクが君を助けてあげるよ!」
男 「……できるのか?」
ケムシ 「もちろん。その……服? 腕の所だよね。見せてみて」
男 「よいしょ。どうだ?」
ケムシ 「あ、君。頭に虫食いがあるね」
男 「うるさいな。どこ見てんだよ!? あいつらが手術だか何だか言って毛を剃ったんだ! くそうっ……思い出すとまた腹の虫が収まらなくなってきた!」
ケムシ 「腹の虫? 虫垂炎かい?」
男 「違う!」
ケムシ 「冗談だって……お。これかあ。うん、これならボクでもなんとかできるよ」
男 「本当か?」
ケムシ 「うん。まかせて。2週間もあれば食べきれるよ」
男 「待ってられるか!……はあ、もういい。俺が馬鹿だった」
ケムシ 「うっ……ごめんよう。ボクはやっぱり役立たずだね……」
男 「ああ、そうだな」
ケムシ 「ごめん。ごめんよう。……うう、うわあああん」
男 「こらっ。泣くなよ、泣き虫が」
ケムシ 「うわああああん」
男 「はあ。なんでそんなに俺に構うんだよ。」
ケムシ 「うう。ボク、人間と友だちになるのが夢だったんだ。人間と友だちになって一緒に冒険がしたかったんだ。美味しいものを食べて、空を飛んで、海を越えて、素敵な秘密を解き明かすことができるのは人間だけだから。ボクは人間が、少し怖かったけど人間に憧れたんだ。だから、悪魔さんにお願いしたんだ。ボクと友だちになってくれそうな人間さんの所へ連れて行ってくださいって。それがボクの2つ目の願い」
男 「へえ。随分、無能な悪魔だな。それで俺の所へ連れてくるなんて」
ケムシ 「ううん。きっとボクの力不足だったんだよ……」
男 「ふんっ。まあ、それもあるだろうな。素直に人間にしてくださいと言えばいいだけの話だったのに」
ケムシ 「……あ、そうか。確かにそうだね」
男 「そういうことだ。まあ、それができないのがお前だったのなら仕方のないことだろう。嘆いてないで諦めるんだな」
ケムシ 「うう。悲しいなあ……」
男 「俯くなよ。俯いていると弱虫になるぞ。俺は確かに虐められてるけどな。弱虫なんかじゃないんだ。みんなが俺の才能に嫉妬しているから、妬まれているだけなんだ。だから、決して諦めない。今にあいつらをぎゃふんと言わせてやるんだ。ほら、俺はすごいだろ? お前も俺を真似してみろよ」
ケムシ 「真似? 何をすればいいの?」
男 「えっと。まずは自分の夢を持つんだ。お前の夢は人間と友だちになって人間に夢を叶えて貰うことじゃないか。そうじゃなくて、自分で夢を叶えるというビジョンを持つんだ」
ケムシ 「自分でなんて……そんなこと……」
男 「ほら、俯くんじゃない。前を向いて。俺を見ろ」
ケムシ 「うん……」
男 「俺の目はどう見える?」
ケムシ 「……毛が刺さってて、少し腫れてる」
男 「……そうだな。でも、そうじゃなくて。しっかりとお前のことを見ているだろう?」
ケムシ 「うん。」
男 「もう、お前のことを幻覚でも、幻聴でもなく、しっかりと認めているってことだ」
ケムシ 「うん」
男 「お前のこと認めてやるよ。今から俺とお前は友だちだ」
ケムシ 「え、本当?」
男 「ああ、一緒に冒険ができるなんて、約束はできないけどな」
ケムシ 「ありがとうっ」
男 「気にするな。お前を励ましていたら俺も頑張らなきゃいけない気持ちになれたしな」
ケムシ 「『虫の振り見て我が振り直せ』だね」
男 「人のだろ? まあ、お前は虫だけどな」
ケムシ 「ふふふ。でも、嬉しいなあ。最初にボクが話しかけたときには、君は『虫を食ったような顔』だったから」
男 「『人を食った』な。虫をってそれは……嫌な顔だな……悪かった……。そういや、悪魔の願い、3つ目は何を願ったんだ?」
ケムシ 「ああ。3つ目? それがまだなんだ。最後だと思うと決められなくて、悪魔さんに待って貰うことにしたんだ」
男 「え。じゃあ、まだ残っているのか!?」
ケムシ 「うん。そうだよ」
男 「それじゃあ、お前。その願いで人間になれるじゃないか!」
ケムシ 「うん。そうだね……ボクもそれを思ったよ」
男 「じゃあ……(さえぎる)
ケムシ 「でもね。ボクの願いよりももっと大事な願い。友だちの願いを叶えたいんだ」
男 「はあ!? 何を言ってるんだよ!?」
ケムシ 「怒らないで! もう決めたんだ。自分の夢は自分で叶えるって。植物園で世界中の草花を食べ尽くしたり、ピン芸人・たくあんのライブを見に行ったり、漫画家になって第二の手塚治虫になったり、全部自分で叶えたいんだ」
男 「そっか。……正直、難しいと思うけど、決めたんだな」
ケムシ 「うん。決めた」
男 「特に最後のは無理なんじゃないかなって思うけど……決めたんだものな」
ケムシ 「うん。決めた!」
男 「分かった。じゃあ、頼む……」
ケムシ 「うん……。ぷるるるるる…………あ、モスモス。悪魔さんですか?」
男 「え、何それ?」
ケムシ 「テレパシー。『虫の知らせ』ってやつ。ああ、悪魔さん最後の願いの件ですが……はい……そうです。…………友だちを自由にしてください」
男 ケムシが願いを告げた途端、地面が揺れるような大きな衝撃があって、全身が何か不思議な力で包まれる間隔があった。そして、繭から解き放たれるかのように、俺を縛っていたものが全て引き裂かれたのだった。
男 「……すごい……本当に……俺、自由になってる…………全裸だけど……」
ケムシ 「ふふふ。すごいでしょ?」
男 「ああ、間違いない。悪魔の力すごいな……」
ケムシ 「そうだね。……うっ……」
男 「えっ、どうしたんだ。ケムシ!?」
ケムシ 「こんな時に来るなんて。変態だ……」
男 「え、俺が全裸だから?」
ケムシ 「いや、そっちじゃなくて。サナギになって蝶になるの」
男 「あ。なるほど」
ケムシ 「少し……眠るね……。流石に先輩ほど長くは眠らないと思うから。安心して」
男 「ああ。完全究極体にならないなら、安心した」
ケムシ 「ははは……植物園の草花を食べる夢は諦めないとね……でも、代わりに蜜を吸えばいいよね」
男 「ああ、そのとおりさ。待っててやるよ。まあ、その間に俺を虐めていた奴らをギャフンと言わせやるさ」
ケムシ 「うん。起きたらその話、聞かせてね。楽しみにしているから」
男 音が聞こえて、風も感じられた。『自由にしてくれ』という願いだからか悪魔は律義にも扉まで開けていったようだ。まだ闇の中。しかし、涼しく晴れやかだった。ほんの数分前に比べたら違いは歴然だった。腕を伸ばして伸びをして、身体の機能を一通り確かめると、随分と忘れていた間隔を思い出した。
男 「おなかすいたな……」
〇間。
男 「……おっ。動いた……出られるか? ケムシ」
ケムシ 「……んっ……うーんっ……はあ〜、よく寝た〜」
男 「やあ、おはよう。思ってたよりもずっと早かったな」
ケムシ 「まあね。どうだい、ボクの羽は? 綺麗かな?」
男 ケムシ……もとい、チョウは伸びをするように羽を広げてみせた。まだしわしわで、模様なんてわからない。しかし、その羽は大きく、乾いた頃にはその羽はよく水を弾きことを想像させられた。朝露を連想させる心地いい羽だった。
男 「まあまあ、じゃないか? かっこいいと思うよ」
ケムシ 「ふふふっ。そっか。……ねえ、君その服しかなかったの? 随分汚れてるし、サイズもあってないけど」
男 「仕方ないだろ? 他のしましま模様のやつよりかはよっぽどましだ。下手をしたらあの服には糞までついているんだ」
ケムシ 「ふーん。あ、イジメっ子達はなんとかできた?」
男 「ああ、もちろんさ。負けるわけ無いだろ。ぶちのめしてやったよ。今は部屋の外にいる」
ケムシ 「え!? 大丈夫なの?」
男 「問題ないよ。元いた部屋にそれぞれ飾ってある」
ケムシ 「飾……る?」
男 「ああ。見てみるかい?」
ケムシ 「えっと……襲ってこない?」
男 「問題ないって。もう2度と動かない」
ケムシ 「……あのさ……それどうしたの?」
男 「それって?」
ケムシ 「その顔だよ。真っ赤じゃないか……口の周りなんか特に。……悪魔さんみたいだ」
男 「ああ。この顔か……この顔はね」
男 俺は笑って言ってやった。
男 「『人を食ったような顔』だよ―—」