4年ぶりのひとり暮らしになって
ひとり暮らしはじめました。
と言っても期間限定なんですが、もうやめられない味・・・。
4年前までは一人で暮らしていたけれど、その時の感覚をすっかり忘れちゃってた。
シェアハウスを2軒経験しているうちに絶妙な不便さもあまり気にしていなかったのだけど、(とはいえ2軒目が不自由でうんざりしていたのはある。)
一人になってみると、改めていいところだらけだな!と気づいてしまった。
もちろんシェアハウスで良かったこともあるけれど、今はこの自由さについて語りたい。当たり前のことなのだけど、今の私には当たり前じゃない。
大きく挙げると以下だ。
①お風呂にゆっくり入れる
次の人を気にせずに、長湯ができる。本を持ち込んで、入浴剤を入れぼんやりする時間ができる。
さらに、髪の毛の処理をいちいちしなくてもいい。
洗面道具を置きっぱなしにしてもいい。
②料理に時間がかけられる
シェアハウスのキッチンは結構広めなので余裕があるかなとおもっていたのだが・・・、意外と人と時間帯がかぶるとその時食べる分+残してつくりおきとしてとっておくくらいしかできなかった。
たまにお弁当は作っていたけれど。
キッチンでつくりおきを考えて、さらに冷蔵庫のスペースにも限界があるので好きなだけ作ることはできない。
(昨日から作り置きが楽しくて、料理の面白さを思い出している)
大体いつも麺類と、名もなき炒め物を合わせていた。
③人の存在を感じない
実は前の家がレオパレス以下ではないか?(レオパレス住んだことがないので噂での想像しかないですすみません)並みの壁の薄さだった。
朝、廊下を人が歩く音やアラームで目覚めるのでいいのか悪いのか寝坊することはなかった。
コロナに入ってからは隣の人の声が丸聞こえなので、リモート会議で何か話しているのが筒抜けであった。さすがに詳細まではわからないけれど。
なので、Netflixなどでやらしめのシーンが出てくるとこそこそ音量を下げていた。中学生男子みたいなことをしていた。
さらに、もう反対側に英語圏出身の女の子が住んでいるのでしょっちゅうFワードが聞こえてきていた。(何かドラマを見ている時だ)
会議中にFワードが聞こえてくるので冷や冷やした。
主にこんなところだろうか。後は何より、小心者ゆえの、音量を低めに設定したり、生活音にびくつく必要がなくなったのは大きい。
そして・・・そして、時々触れていたシェアハウスにいるやばいやつから逃げ切った!という達成感。
さらに、部屋に物を置いていきながらこうやって個人のものを置いて行き・・・
ああ。小屋から部屋になったぞ!!という高揚感があった。
前の小屋↓(荷物を運び出し、ミニマリストごっこをしている図)
はあ・・・昔の家は家じゃない。小屋だった。
私はここで生活をするんだ。
これが生活だ。と、彼氏や友人の家に行くたびにおもっていた。
私は人間の暮らし・・・生活をしたい。
そんな希望に気持ちが昂り過ぎていて、部屋にいるだけで落ち着かなくなったので近所のカフェで作業するという本末転倒さの今日でした。
まあ、いずれこれが普通になった時に、しみじみありがたさを噛み締めるように。