29歳で脳梗塞になった話 ┈┈ 第13回
7月26日(水)
2日に一度のシャワーは入院中、三度の飯に次ぐ娯楽である。欲を言えば浴槽に浸かりたいが、病棟のシャワー室に風呂はない。入浴は退院後の楽しみにとっておくことにする。
午前中のリハビリはいよいよ屋外歩行訓練が行われた。経路は病院の周辺を大回りに1周。時間にして8分程の散歩である。 9日振りの外出に心躍るのも束の間。外気に触れた瞬間、体が夏の暑さを思い出した。午前10時前とは思えぬ熱気。刺すような日差しと鉄板の如きアスファルトの照り返し。私は早くも病室に戻りたくなっていた。
この訓練は新たな障害の発見にも繋がる。例えば、通行人とうまくすれ違えないとか段差に躓いてしまうとか、場合によっては屋内との明暗の差で体調を崩してしまう者もいるらしい。幸い私は何事もなく病室へ帰還することができたが、高齢になるにつれて訓練の難易度は上がるだろう。何気ない日常を送れることの尊さと、院内の快適さを実感する訓練であった。
病棟に戻ると見慣れない男性から声をかけられた。
「てるさん、退院が8月1日(火)に決まりました。」
その男性とは他でもない、主治医のM先生だった。入院の折、病状を説明していただいたことを薄っすら思い出す。その後、病室に来た看護師から退院が7月31日(月)に早まったことを知らされた。月を跨ぐと医療費が高くなる云々、こちらの負担を考慮して都合をつけてくれたようだ。退院後の服薬についても、わざわざ隣町まで薬を取りに来なくていいよう、自宅最寄りの病院へ投薬情報を提供してくださるとのこと。たいへん有難いことである。
さて、パズルや間違い探しなどを使ったいわゆる言語療法分野のリハビリは、大体の場合、各自の病室で行われる。そのため、空き時間に他の患者と言語聴覚士との話し声が聞こえてくることも往々にしてある。私の向かいのベットの患者は、言葉がはっきりしている反面、血糖値などの問題で1人で立ち歩くことを許されていない。故にトイレや歯磨きなども、看護師付き添いのもとで行っている。
今日の午後、そんな彼が言語聴覚士へ涙ながらに胸の内を明かすのを聞いた。この大病を患ってしまったこと、それにより周りへ迷惑をかけていることを詫びるような内容だった。言語聴覚士は静かにその話を聞き、「思いを言葉に出すことも大事なリハビリの1つ。まずは早く元気になって家族のもとへ帰ろう」と言葉を返していた。
どうやら彼は、明後日リハビリ病院へ転院となるらしい。ある看護師は「リハビリ病院は患者が元気になるところ、ここ(脳外科病棟)は生きるか死ぬかのところ」と話していた。私は「闘病」という言葉の重さをあらためて感じていた。