お経
お経は、とにかくお腹から出した大きな声で読みましょう
と方丈様に言われて、
まるで小学一年生みたいだな、と思っていたら、
大老師様が書かれた本に、仏弟子の成長過程が、赤子から
幼稚園生、小学生、中学、高校、大学、と例えられていたので、あながち間違いじゃないようだった。
お寺の山門前に佇まれている大きなお地蔵様も、赤子を抱かれているし、そのお足元にも、赤子が居る。
私たちは、何も知らない赤子で、仏様に教えを乞うしかないのだろう。
その時の自分の心情は、ほんとうにその通りだった。
できるだけ素直に、教わった通り、一所懸命
私も、大工さんも、大きな声でお経を唱えた。
毎朝、夕刻。
それはきもちよくて私はすきだった。
ここで教わったお経は、なんだか馴染みやすく
今までお葬式などで聞いたり言ったりしてきたお経とは
私にとってなにもかもが違った。
方丈様の唱えるお経は、特別大きくて、息が長く、そしてきもちよく響く。
その声にのせて、皆で一斉に唱えるお経は、朝の薄暗い、寒くて張りつめた空気の中で、白い息と、かじかむ手足の中で、一体になって、わたしたちのからだにも、ねこにも
奥にまつられた仏様にも、山にも、木霊していく。
独り居るときこえてくる、方丈様の読経は、私が居た部屋の特権だった。
雨がしとしと降る中で、うっすらとした日の光だけが、窓から入っていて、もう山の中にあるようなこの部屋は、木の葉の擦れる音がサヤサヤとし、湿気がつよい。
そこできこえてくる方丈様のお声は、あの時のわたしを
大層救ってくれたと思う。