世界の中心に何を置くべきか
まずはとりあえずこの動画を見て欲しい。
藤子・F・不二雄 生誕90周年記念 特別映像 (YouTube)
ご存じ、藤子・F・不二雄さんの記念動画である。
この動画を見た後、自分は、「一体どれだけこの人に楽しませてもらったのだろう」と気付き、思い出し、涙が出てきた。
子供の頃から、F先生だけではなく、色んな物事や作品から数えきれないほど楽しませてもらったのだろうと思う。
しばらく考えて、人間は世界の中心に何を置くべきか?という不思議な疑問がふと頭の中に湧いてきた。
物理的な世界の中心ではない。そりゃ多分ブラックホールだ。
かつての自分の世界の中心には一体何があったのか?今の人々の世界の中心は何なのだろう?
金?経済?政治権力?性欲?いいね数?社会?
そんなつまらないものなのだろうか。そんなつまらないものを世界の中心に据えて生きていくことができるのだろうか。
結論を言えば、世界の中心に置くもの、自分が思うに、それは子供だろうと思う。べつにこれは名詞の意味での子供ではない。
人というものが持っていたはずの世界。小難しいことが中心ではなかった世界。それはありとあらゆる夢や希望、好奇心、空想、冒険、発見、成長。そう、それこそ子供そのものではないだろうか。
その子供を世界の中心にしてくれていたのが藤子・F・不二雄という人なのではないだろうか。
話は変わるが、藤子・F・不二雄作品に"劇画オバQ"というものがある。全然世代ではないのでオバケのQ太郎自体はそんなに知っているわけではないのだが、劇画オバQは随分ショッキングな内容である。
当時の主人公など子供達が大人になった後の世界にQ太郎が会いに来るという話だが、いわゆる「現実的な世界」ではQ太郎の存在は非常に邪魔であり許されないのだ。
この作品が何のために描かれたのかは知らないしそんなことは分かるわけがないが、個人的には当時のF先生が考えた「残念な世界」の描写なのではないかと思う。
世界の中心が変わってしまった世界。
現代社会というものは大人の世界になっている。その大人たちは「さぁ楽しい世界が待っているぞ」と手を広げて子供を迎えているのだろうか。自分たちが楽しんでいるのだろうか。不都合なものは許さないとなってないだろうか。
子供心とは何なのだろう。それは子供だけが持っているものなのだろうか。今自分の部屋にドラえもんがいたらどれだけ楽しいだろう。空想を現実にできたらどれだけ素敵なことだろう。それはきっと人が生きていく原動力になるんじゃあないか。多少なりとも人を幸せにできるんじゃあないか。
結局何が言いたいかというと、素敵な世界を目指すために、世界の中心に子供を置こうという提案である。
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