父の日

私には父親がいない
中学3年生の6月、亡くなった

田舎の電機屋、老若男女に慕われていた
お仕事で家にいないことが多かったけど、
GWは遠出をしてくれたり、運動会も見にきてくれたり、家族も大切にしてくれていた

少し背は低いが、洗濯機も持ち運べちゃう、たくましいお父さんが大好きだった

おっちょこちょいの姉と妹に挟まれた私は、反面教師でしっかり者に育ち、控えめな性格だった
そこそこに姉妹仲もよかったけど、父親も中間子だからか、1番気にかけてくれていた

ちょうど姉と3つ離れていたから、中学の制服は姉のお下がりで行くと、ほんとにそれでいいと思ってたけど、父親が私の制服を買ってくれた

買ってくれたのに、私は不登校になった
学校にいけなかった

明確な理由もなく、ただ、同じ制服をきて、同じ部屋に詰め込まれて、同じ勉強をするのが耐えられなかった

父親に学校の駐車場まで送ってもらっては
しょっちゅう泣いて帰ってきてた

そんなのが続くと、母親と衝突するようになった

父親は間を取り持ってくれて、学校行かなくてもいいけど、勉強だけはしておけと言ってくれた

中学2年の時、父親が入院すると、癌だと、頭に腫瘍があると家族集められて聞いた

母親はお店と病院を行き来するようになった
その頃は保健室登校だったり、家にいたりと、ほんとうに厄介な娘だったと思う

手術は成功したけど、言語と手足を動かすのが難しくなった
たくましかった父親は、細く小さくなっていて、でも今までの何かから、解き放たれたような優しい雰囲気になった

私は家でよくいたので、父親と一緒に過ごしていた

涙が止まらなかった時、父親がいっぱい笑えと言ってくれた
言葉はままならないけど、たぶん、いっぱい泣けって言ってくれたんだと今でも思ってる

一緒に過ごせたのも束の間、癌が転移して、ふたたび入院することになった

見るからに痩せ細っていく父、言葉どころか、私を認識するのも危ういくらいになってしまった

忘れられたくない一心で、母親と一緒にお見舞いに行った

自宅療養する準備も整ったところで、父親は亡くなった
朝方起こされて、母からお父さんが死んだと言われた
そのまま病院に向かうと、目を閉じて動かない冷たいお父さんがいた

あの時15歳、もう10年も経ってしまった

私はお父さんが好きだ
今までもこれからもずっとずっと
お父さんに会いたい、毎年父の日はそう思う

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