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感情労働を最小化したい

こんにちは、大手町くずろうです。

本日は、「企業や組織の内部における感情労働」について考えてみたい。

「感情労働」という単語を先日初めて耳にした。Wikipediaによれば、次のような労働らしい。「肉体労働」と「頭脳労働」のほかに「感情労働」というものがあるということだ。

感情労働(かんじょうろうどう、英: Emotional labor)とは、感情が労働内容の不可欠な要素であり、かつ適切・不適切な感情がルール化されている労働のこと。肉体や頭脳だけでなく「感情の抑制や鈍麻、緊張、忍耐などが絶対的に必要」である労働を意味する。(Wikipediaより引用)

これには、はっとさせられた。そもそも、人は怒ったり、ふてくされたり、すねたりするものだ。あいだみつをさんに言わせたら「人間だもの」といわれそうだ。

特に顧客接点をもつ方とかは感情労働の割合が高いのだろう。それはたしかにそういうものかもしれない…。今回はっとさせられたのは、そういう外部とのインターフェースのところじゃなくて、企業や組織の内部でも「感情労働」に悩める人が少なくないかもしれないと思ったからだ。

どうでもいいことの範囲の違い

仮説でしかないが、一般的に、優しい、と思われている人はおそらく「どうでもいいこと」の範囲(許容範囲)が通常の人と比較してかなり広めに設定されているように思う。一生懸命だが、極めて寛容であり、完璧は目指してない。

一方、優しくないな、と思われている人はおそらく「どうでもいいこと」の範囲(許容範囲)が通常の人と比較して狭く設定されているように思う。だから許せないことが多い。一生懸命であるがゆえに、できれば完璧でありたい。職人気質。

この「どうでもいいことの範囲の違い」の解消のために使われている時間が感情労働なのではないか。そして感情労働の長時間化は、優しい上司が、職人気質のメンバを抱えているチームに起きそうなきがしている。優しい上司は長時間労働の常習者だったりしないか。

特に一生懸命な中間管理職が連結ピンとしてよいコミュニケーターであろうとすればするほど感情労働の時間は増加する。そして、バーンアウト。これはありえるケースだ。

以前、「リッカートの連結ピン理論」については次の記事も少し言及していますので、あわせて読んでいただけるとありがたいです。(負けない新撰組とは。)

自分にとってはどうでもよくても、他人にとってどうでもよくないなら、そのギャップを埋めるコミュニケーションが生まれるし、その負担は、組織の拡大とともに増大するからだ。

例えば、廊下ですれ違っても会釈をしない新入社員がいたとかいないとか。Tシャツで仕事するのはありなのかとか。勤務時間外にLINEが送られてきたとか。

なお、こういう問いかけというか問題意識を告白されたとき、悩める上司はたいてい「どうでもいい」とは言えない。言えば、コミュニケーションがこじれる。自分が「どうでもいい」ことの許容範囲が広いことをこれまでの経験からすでに認識している。だから、こういうことが「どうでもよくないこと」になりえるのだということを学ぶ機会と前向きにとらえる。信頼関係が重要だ。

ただ、正直なところ、あまりなにが正解かには興味がない。できればそんなこと聞かないでほしかった。どうしよう、正直めんどくさい。でも、こじれたくない。こじれたらまた時間をとられる。溜息とともに過ぎていく時間。

というのは、だいぶ大げさだが、多かれ少なかれありえると思う(笑)。そうこうしているうちに、組織内のコミュニケーションを円滑にするための連結ピンの役割を果たすことへのモチベーションが低下していく。

優しすぎるままでいるのは危険

だから、優しすぎるままでいるのは危険だ。悩める子羊じゃいられない。まったく根拠もない話だが、新撰組における副長(土方歳三)が、複数の小隊の連結ピンたりえたのは、「鬼の副長」だったからなのかもしれない。優しすぎることは感情労働による疲弊を招く。それを回避するために、どうでもいいとかどっちでもいい、というスタンスは捨てる。特に理由なくいちいちどっちかに寄せるということをする。今日からこっち、それがルール。そうすれば感情労働の時間は減る。

その上で、これまたまったく根拠のない話だが、新撰組においては、局長(近藤勇)、副長(土方歳三)、一番隊(沖田総司)という縦のラインが重要な役割を果たしたのではないかと思う。十数の小隊を束ねる上で、土方が特別に影響力を持ち、心理的安全性が高い絶対的味方(=局長と一番隊)が上下にあったからこそ、連結ピンとしての役割をまっとうできたのではなかろうか。ほぼ、こじつけですが、笑。

コロナ禍において、悩める中間管理職の感情労働は減少した(のかもしれない)。オンラインはひとつの解決手段になりえた(のかもしれない)。物理的に離れれば「どうでもいい」ことの範囲は広がる(のかもしれない)。これまでが近すぎた(のかもしれない)。

しかしながら、企業や組織の内部での感情労働はコミュニケーションにおける解消すべき大きな非効率だと思う。中間管理職にかぎらず、「どうでもいい」の範囲によらず、心理的安全性を高く維持しつつ、感情労働の時間を最小化できる組織の在り方を、引き続き考えていきたい。

以上、大手町くずろうでした。

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