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相対⇔絶対/幸福⇔不幸

僕はインドア趣味屋で引きこもりが大好きなんだけど、休日朝から晩まで家に閉じこもりきりだと精神が不安定になるんだよね。不思議だね。何年か前までは1週間くらいは耐えられたんだけど、今は1日で限界が来ちゃうんだ。まあいずれにしても引きこもりの幸福感って相対的なものなんだね。認めたくないけど、用事があって外出した後とか終業後の方が家に居られる時間が短いのに精神的に安定してる。アトちゃんは「人って本来そういうものなんよ」って言ってた。

僕は長年の間幸福って絶対的なものだと思ってたから少しびっくりした。絶対と相対のどちらもあるんだね。たぶん逆に不幸にもその2種類があるから、全部で4種類の精神コントロール術を会得していないと幸せが逃げて不幸に取り憑かれてしまうかもしれない。幸せに生きるってシンプルなようで難しいね。

そして一見して理想的ないつも幸せでいる状態にも違和感がある。だって僕が今感じている相対的な幸福と不幸の存在は否定も排除もできないから。接待的多幸感で満たされ続けている人は最早廃人だろうし、例えば究極の集中状態や幸福について脳内会議をしていないフラット状態もあり得るよね。自分の機嫌を自分で取るのがうまい人にその脳内処世術を教わりたい。そしていつまでもこんな幸せがなんだと独りぼやくだけの人生を終わらせたい。

こういう禅問答はポートフォリオやプロダクトに落とし込んで共感やお金を得られたりして初めて価値がある。うじうじしているだけではサーバーの無駄遣いも甚だしい。僕はいつまで同じところを回り続けるんだろう。好きなものはたくさんあるのに殻を破ろうとしない、外に出て行こうとしない、体系立った研究をしない、想いを象るための技術を磨かない。でも研鑽だけでは幸せになれないし、寧ろ自分次第では不幸になる。

僕は後ろ向きなのだろうね。ifばっかり考えて生きている。noteだって特定のモノやトピックについて語ろうと思えばできるけど、他のもっと優秀な人が僕の代わりに文字に起こしてくれるから自分の中の濁りを吐き出すしかネタがない。昔、僕の生んだものが誰かを幸せにしていたことがあった。それで僕も幸せになれていた。楽しい数年間だった。病気ではあったけど病気と無縁だった。またみんなのいる広場に戻りたいな。if.

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