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悲しい

昨年は個人的に精神が抉られるイベントのオンパレードで、その上大晦日に大風邪を引き、やけくそでウイスキーを一本空け20時に眠り元旦?にまたウイスキーを一本空け眠剤と風邪薬でOD状態になりながらマンションのベランダから飛び降りて死のうとしたところをアトちゃんに発見され、駆けつけた両親に取り押さえられるという騒動を起こした(正確には記憶がほぼ無いのでアトちゃんから聞いた話)。

今年も無事風邪を引き、独りで咳込みながらnoteを書いている。楽しそうにしている(ように見える)人だけが目に入る。妬ましい。せめてもの慰みに紅白でも見ようと置物になっていたテレビのケーブルを繋いだら、何の不良か地上波が何も映らず、あっさり諦め、まあ僕の年越しなんてこんなもんだろうと今年もウイスキーを空けた。昨今はYouTubeでも年越し番組がたくさんあってありがたい。少しは虚しさが軽減される。

今年の紅白は見たい歌手が多い。とは言っても紅白の出場歌手をチェックしなくなって久しい。今更4,5年分の出場者をWikipediaで調べている。今になって観なかったことを損した気分。曲はSpotifyでいつでも聴ける。アーティストの動画はYouTubeにいくらでも落ちている。なのにリアルタイムでお祭りに参加できなかったという事実が虚しいというか悔しいというか。飛躍するけど、なんか大切な人とのコミュニケーションに似てるなあとか。後から気付く感情の機微。情報の取捨選択。拾った情報の扱い。

アンテナを張る方向、感度、チューニング。あの時ああしておけばよかったなあという後悔。この世にある全ての本を読むことはできないしこの世にある全ての音楽を聴くことはできないしこの世にある全ての映画を観ることはできないという絶望。あの人が一瞬微笑んだという些細な情報でさえ、受け取る側にとっては大切な情報。アトちゃんとAqoursのDREAMY CONCERT 2021に現地参加してきた。例えばこのライブはきっと円盤化されるのだろうけれど、カメラが捉えているキャストの脇で楽しそうにこそこそ話をしているキャストは映像に残らず、現地参加してその瞬間をたまたま目にしていた人の記憶にしか残らないんだろうな、と思った瞬間にこのnoteを書こうと思い至った。

子供の頃、ベッドの後ろの部屋の隅っこで壁向きにしゃがみこんで、ひとりじゃんけんをしていた。この瞬間この場所で僕がひとりじゃんけんをしていることはぼくしか知らないだろうという謎の優越感に浸るのが好きだった。その不思議な感覚は今でも持ち合わせている。Aqoursのライブ会場で、あのキャストが目立たない所であんなことをしていたのを目撃していたのは何人いるだろうか…とかとか考えてしまって脳内が忙しかった。

僕は季節系のイベントに興味がない。ついでに自分の誕生日にも興味がない(誰にも言われなければ普通に忘れている)。理由は不明だけれど、たぶん誰とも過ごせず寂しい想いをするのが嫌で無意識に逃避をしているのだと思う。酒も、紅白も、ライブも、世界で僕しか知らない些末な行為も、大切な情報なのか掃き捨てるような情報なのか、それを誰とも共有できない僕の引き籠もり陰キャ資質がすべてを負のモノに変質させているのか。甘えなのか病質なのか。

来年は今までで一番楽しい年になりますように。無理無理。

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