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楽しい日があるから生きているのがつらくなるのか?

生きていると楽しいイベントが発生したりする。ご時世的に難しいものもあるが、友達との会食や旅行、ライブ、ただの休日でもいい。代表的なのはこんなものだけどもっとささやかな楽しみだったり、とにかく待ち遠しい日っていうのはほとんどの人が持っているんだろうと思う。逆に訪れてほしくない日というのもあるだろう。この緩急が人生を生きづらくしているのか、逆に生き永らえる糧となっているのか、昔から分からないでいる。

別にどっちだっていいし、自分が生きやすい考え方にマインドセットすればいいだけの話なのだけど、絶望にフォーカスしてしまって楽しみは「逃避」と捉えている人が多いように感じる。つまりベースがつらい日々なわけだ。そう仮定すると自殺者が多いのも頷けるなあなんて思ったりする。僕がイベントや季節行事を嫌う理由はそこにあるのかもしれない。禅僧のように常に平穏と安寧の中で生きていたい。

待ち遠しい日というものがあっても心を乱さず粛々と生活するには修行が必要だ。特別なんかじゃないと感じられるように。日々の中に幸せがあるだけ。あなたが生きている日常はそれが普通なのであって絶望なんかじゃない。上を見ても下を見てもキリがない。どうしてもつらいなら自分で動くしかない。SOSの発信だってあなたがしなければ誰も受信してくれない。それができなくて自死を選ぼうとしていたり自傷を繰り返す人に、僕は何も言うつもりはない。死にたいなら他人になるべく迷惑をかけない方法で死ねばいい。僕はその人の死を止められるほどその人を知らないし、その人が改心した後の人生に責任を持つ気はない。だから止めない。自傷行為も好きなだけやったらいい。他人の身体がどうなろうと他人は知ったことじゃない。

とりあえず一時の幸せを日常と比較しない方がいい。あなたのどうでも良い日常で悩んでいるのはあなただけなのだから。人生に期待してはいけない。他人に期待してはいけない。楽しい日々は毒にも薬にもなる。

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