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楽しいの代償がつらいなのか

入院が決まってからというもの、アトちゃんの協力を始めにいろんなやりたいことをやらせてもらっている。楽しいけど疲れる、疲れるけど楽しいという有りがちな二律背反的な感じに陥っている。でも楽しいからいいんだ。

同時に楽しい分、これからの数ヶ月の孤独に耐えられるか…いや、慣れるのと精神が破壊されるのとどちらが早いか不安になる。落差があるなら楽しいこともつらいことも要らないと、ふと思ってしまうのは悪い癖かもしれない。人間らしくない。子供のとき、楽しいことがあったらつらいことがあってもがんばるんだよ、と繰り返し説かれてきた。子供ながらに、それなら楽しいことなんか要らないし、ずっと楽しい状態って有り得ないの?と訝しがったものだ。

完全にフラットは無理なので、なるべく波は抑えて生きたい。別に思い切り楽しんだ後、つらいことから逃げても良いじゃないかとも思う。我慢が美徳のような価値観にはつくづく反吐が出る。その結果が入院だったり大切な人との別離に繋がってしまったけど、慣れた。うむ、つらいことが嫌なのではなくつらいことを覚悟したりそのために力むことが嫌いなのかもしれない。いつでもフラットで、自分らしく事象に対処していきたい。

エスモカ飲み忘れたのでもう眠い。

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