情報化社会が幼児化をもたらした?
先日、社会の情報化によって文化の変質が起こっているとする論説が地方紙に掲載されました。
ゆっくり時間をかけて物事を経験、反復したり、吟味するという習慣がなくなった結果、その習慣によって培われ、cultivateされてきた文化の重厚さが失われている。
そしてそれは文化を生み出してきた人間の精神の衰退、幼児化を意味しているのではないか、ということを指摘しています。
社会の情報化、ネット化によって失われた習慣。
特に大きいのは、じっくり本を読む読書の習慣かもしれません(※1)。
本を読むということはその実、書き手の精神世界に意識を溶け込ませ、その世界を追体験するという非常に高度な精神活動を要求するものなのです。
その時間がデジタルな娯楽によって置き換えられた結果、かつて人間の精神を育んできた営みが失われてしまったと言えるでしょう。
スマートフォンというデジタルヘロインの蔓延
社会の情報化による負の側面は、人の精神を育む習慣を失わせたというだけにとどまりません。
それ以上に大きな影響を及ぼしていると考えられるのはスマートフォンやタブレットなどのデジタルデバイスです。
このデジタル端末の普及によって、日々無限に増え続ける情報へのアクセスがいつでもどこからでも可能になりました。
さらにSNSという人の社会的欲求、本能を強烈に刺激するプラットフォームが登場したことで、「もっと新しい情報が欲しい」、「もっといいねが欲しい」という欲求の暴走、報酬系の過剰な活性化に歯止めがかからなくなってしまいました。
報酬系は進化的に古い脳のシステムの一部で、人の本能的欲求・欲望を刺激することで、目の前にニンジンをぶら下げられたウマのように人間を生存・繁殖に駆り立てています。
その「獲物」に向かわせるため、報酬系にはストレス中枢(扁桃体)が組み込まれており、報酬期待(ドーパミン)によってストレスホルモンの分泌が促され、体温や心拍数、血圧、血糖値などが上昇し、身体が闘争モードに切り替わる仕組みになっています。
この急性のストレス反応のおかげで人間は頑張ることができるわけですが、報酬系の絶え間ない活性化によって慢性的にストレスホルモンが上昇した状態が続くと、さまざまな弊害がみられるようになります。
その一つが、前頭前野や海馬など、人の知性を司る脳領域の神経細胞のアポトーシス(細胞死)です。
ストレスによって脳細胞の細胞死が促進されるのは、太古の時代には慢性的なストレス状態は危険な環境に身を置いていることを意味したため、生存を最優先する闘争モードでは余計なエネルギーを消費しないようにするメカニズムが進化的な合理性を持っていたということでしょう。
つまりスマートフォンやタブレットによって報酬系が過剰に賦活されることで、身体は理性の脳を犠牲にして、サバイバルに集中するためのモードに切り替わってしまうということです。
特に繊細で脳の可塑性の高い幼少期~思春期にかけて何かしらの依存に陥った場合、発達に大きな影響を及ぼす可能性があります。
また慢性的なストレス状態は性ホルモンの分泌を阻害することも知られています。
特にテストステロンなどアンドロゲンが持つ精神作用は大きく、脳内神経伝達物質であるドーパミン神経系やセロトニン神経系の活性化を介して精神(脳)を安定させる作用があり、男女問わずホルモン値が低下すると心身の成熟が阻害され、いわゆる草食化やメンタルの不調をきたしやすくなります。
脳の可塑性は生涯にわたるものであり、この影響は若者だけでなく大人にも及びます。
デジタルヘロインとも呼ばれるスマートフォンの普及は、人の未熟化をもたらしたのではないでしょうか。
幼児化の先に待ち受けるもの
この未熟化、幼児化の徴候は前述の理由から、デジタルネイティブと言われる若い世代にとりわけよくみられます。
近年、日本では若者ほど保守化するという奇妙な逆転現象が起きています。
これは世の中のうす暗い雰囲気を敏感に感じ取り、環境への適応が起こった結果とも考えられますが、この不安の強さ、不安定さの背景にはやはり未熟化(ある種の家畜化)の要素が感じられます。
また恋愛への関心の低下、未婚率の上昇(※2)などにもその影響が表れていると考えることができるかもしれません。
精神科医の岡田尊司氏は今のこの状況を、アヘンの蔓延によって国力の低下や腐敗が進み、ついには滅亡を迎えた19世紀の中国の王朝、清になぞらえています。
現生人類であるサピエンス(ラテン語で賢い人の意)は、旧人であるネアンデルタール人などに比べ、遺伝子の突然変異により前頭葉の体積が大幅に増大した結果、高度な知性や社会性を獲得し、今日の文明を築き上げたとも言われています(※3)。
しかし今、その強み、優位性を自ら捨て去ろうとしているのではないでしょうか。
それはこれまで人類がたどってきた文明の進歩という時計の針を巻き戻すことを意味しているのかもしれません。
※1
※2
※3