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91歳現役芸妓さんに学ぶ、長期的なキャリア構築のために必要なこと

こんにちは。
今回は2024年6月30日(日)に開催された、日本キャリアデザイン学会 関西支部研究会主催で行われました、
『「京都、花街の舞妓さん・芸妓さんのキャリア形成」
ー多様なディベロップメンタルネットワークの中での人材育成ー』

に参加してきましたので、そこで学んだことをまとめていきたいと思います。

私はこの学会にはまだ参加していませんが、とても面白い内容で興味がわきましたので、もう少し情報を集めてみたいと思います。
場所は、京都芸術工芸大学の東山キャンパスで行われました。


◯デベロップメンタルネットワークって?

まとめていく前にまずは、「デベロップメンタルネットワーク」についてです。調べていますと、

デベロップメンタル・ネットワーク(Developmental Network、以下 DN と略す) とは、成長途上にある人物が、自分のキャリア形成に関心を持ってくれており、実際 にその支援を提供してくれていると認識している周囲の人たちによって構成された、 自分を中心とするネットワークである。

Higgins & Kram, 2001

とありますが、初めて触れる言葉と意味なので、私自身まだ得心がいっていなかったのですが、鼎談やまとめの話を伺っている中でなんとなくわかったようなところがあります。

◯京都花街のシステム

私は関西在住ですし、京都に1年住んでいたことはありますが、もちろん花街とは縁がなく、お茶屋遊びもしたことはありません 笑。

なので、どのような事業形態であるのか、どういうシステムで続いてきているのかはほとんど知りませんでした。今回話を聞いていて、とても興味深く、かつ長く続けられる理由のあるシステムになっているなーと感じました。

そして、このシステムはほぼ女性が回しているものであると聞いてなるほどと思いました。

まず舞妓さん、芸妓さんは「置屋」に所属しています。
置屋の主は「お母さん」がほとんどで、「お父さん」はほとんどいないそうです。このお母さんが置屋の事業主(マネージャー)となります。
置屋の事業は
・新人の受け入れ
・芸などの訓練
・舞妓さん・芸妓さんの派遣
となっています。舞妓さんの衣装や研修費は置屋持ち、芸妓さんの衣装や稽古費用は自分持ちだそうです。

次に、「お茶屋」です。
お茶屋さんでは、お客さんから来店目的(接待、遊び、法事など)を聞き、好みなどを考えたうえで、どの芸舞妓を呼ぶかを決めるそうです。
また、しつらえ(空間や部屋の演出方法)を整え、お客さんを受け入れるという事業となります。
こちらの事業主も「お母さん」と呼ばれます。

◯舞妓さん、芸妓さんのキャリアパス

舞妓さん、芸妓さんのキャリアパス(年齢や芸歴による階級)は割とわかりやすく設定されているようです。

・舞妓のキャリアパス

舞妓として受け入れられるのは、中学校を卒業して10代~大学を卒業する年齢くらいまで活動ができる年齢までだそうです。日本で一番プロとして人材育成が行われる業界ですね。

仕込み:置屋に入り約1年間、住み込みで修行
見習い:見習い茶屋で約1ヶ月の実地研修
見世出し:舞妓としてのデビュー日。3日間はあいさつ回り
新人期間:舞妓になってから約1年間。
中堅期間:舞妓になってから2,3年間。後輩の指導もすることになる。
そして「袴替え」をして、芸妓へ。

・芸妓のキャリアパス

舞妓さんから卒業される、もしくは20歳を超えてから花街にはいると芸妓として活動することになります。

・置屋所属の芸妓

かつらや衣装が変わり、お座敷での振る舞いも変わる。また、後輩の育成責任者となることも。

・独立し自前の芸妓へ

舞妓時代に培った技術と人脈を持ちつつも置屋からは独立し一人暮らしとなります。そこでの選択として引退(廃業)というものもあります。
また、自分の深める技芸の選択をしていく。

・全体と通じてのキャリアパス

数年ごとに節目があり、それに応じたキャリアの見直しと選択があります。
見方を変えれば、キャリアの振り返りと計画の見直しを行う機会が定期的にやってくるわけです。

一方で女性ならではの問題があり、明文化されているわけではないのですが、結婚すると廃業されることが多いそうです。やはり日々の芸の訓練、お茶屋での仕事との両立の難しさを考慮したものだと思います。
しかし、いろいろな時代の変化を、時代に合わせて取り込んできた世界なので、協力し合ってキャリアを続けることもできるようになればよいですね。

また、芸妓さんに定年はなく、自分が続けたいと思い自己研鑽を重ね、周りからも需要があれば続けることができる仕事でもあります。
昔は旦那さんがいたそうですが、今は自らの技術や着物などへのお金は投資であるとして自分で行うそうです。セルフマネジメントが求められるわけですね。

◯多栄さん姉さんのお話

今回お話をされた、京都・宮川町芸妓の多栄さんについてはコチラに記事がありますので、御覧ください。

笑顔がとても素敵で、愛されている方なんだろうなという印象でした。コロナで少し喉を痛めておられたとのことでしたが、三味線と長唄を唄われる姿はとてもかっこよかったです。

多栄さんの芸妓としてのキャリアは、大阪の宗右衛門町にあった「南地大和屋」でスタートされたそうです。

こちらは京都花街の少数精鋭とは違い、芸妓の養成学校のような形でスタートし成功を収めたそうです。かの阪急電鉄の小林一三氏もこれに習い、宝塚少女歌劇(後の宝塚歌劇)を創設されたとか。
20年ほど芸妓として活動されたのち、三味線などを教える仕事をされいましたが、84歳のときに京都・宮川町にて最デビュー。今では65歳差の多栄之さんと盃を交わし「姉妹」となられています。

・現場でのOJT

お姉さん方の立ち居振る舞いを見て学ぶ。
いわれるよりも自分で自分を振り返りながら。
OJTでも他の置屋のお姉さん方と関わることで多様な経験できる。

おもてなしの中にもチームプレーがある。
現場はプロとしての仕事の場でもあるがエキスパートになるための道でもある。
外国の人たちにも、日本の伝統や振る舞いも伝える。

・妹さんや後輩との関わり方

最初は妹をもつことは断ったそうです。そんな中、お母さんが多栄さんの思うようにしてくれていいということで姉妹に。妹さんへの指導も立ち居振る舞いをみて指導する。
指導するうえで気をつけていることは、価値観を押し付けない
また、知識はひけらかすものではない。

・多栄さんが考えるこれから

生涯現役とまでは言わないが、最後まで芸妓として活動したい。そのためにも健康。健康維持のための毎日のウォーキングをしている。
芸の稽古は一日10分であっても欠かさない。

また、東山女子技芸学校に通う女学生でもある多栄さん。好奇心をもち若い世代との対話も良くするそうです。こういった生涯学び続ける姿勢は我々も見習うところが多いのではないでしょうか?

◯学びとなったこと

今回登壇された、近畿大学の西尾久美子教授の話の中で、「近年では新人や若年層向けの研修はだいぶ手厚くなってきている一方で、中堅以降のキャリア形成と育成、経験の伝播が行き届いていないのではないか」、というお話がありました。

・プロフェッショナルからエキスパートに

社会人となり、キャリアの初期であっても給料を得ているということは「プロフェッショナル」です。そこからキャリアを重ね、キャリア中期、キャリア後期を迎えるにあたって、エキスパートとなるためのキャリアマネジメントが足りていないのではないか?という話にも共感できる部分が多かったです。

しかし、そのエキスパートとなるためにも、技術の熟練だけでなく、創造的領域の熟達化が必要とも伺いました。この点はまだまだ見識が足らないので、学びを深めていきたいと思います。

・ディベロップメンタルネットワーク

スキルを持っていても、それを現場に適応される能力も求められる。
三味線の音色も踊りに合わせる必要がある。5つの町でそれぞれ踊りは違う。長唄は共通なことがある。なので、ネットワークとして仕事をすることができる。ネットワークでも階層がある。踊りにあわせた三味。

◯まとめ

最後に、西尾教授の締めのお話には納得するところしかありませんでした。そのお話と自分なりの解釈をミックスしてメモとして残したいと思います。

1.技術や技能を磨くこと身につけることに近道はない。続けること。基礎づくり。

2.現場の持つOJT力。OJTの知恵。相手の巻き込み力。教えるときの相手との距離感や状況に合わせた振る舞い(TPO)。

3.ディベロップメンタルネットワークの必要性と重要性。キャリアの中での場面ごとのネットワークを構築すること。自分のキャリア、技能を要素として分解してそれをネットワーク化する。

組織が提供するものもあるが、個人が作り上げることも大事。
京都的に言うならば「縁」が大事。

受け入れる側の柔軟性(中途採用)と、それに納得感をあたえる熟達の技能(職務経歴)。
伝統は変革と一体。(京都の外からの人材の受け入れ、20歳を超えてからの芸妓さんとしての受け入れ)
経験が邪魔をすることがあるので気を付けること。
サステナブルなキャリア形成

人を育てること、自分が育つこと
教えることを通じて相手がどう変わったか、
教えることを通じて自分がどう変わったか
教えることを通じて組織がどう変わったか
認知の枠組みの変化。恩返しだけでなく、次代に残す恩送り。

キャリアをデザインするときに、
自分だけでなく、自分の周りの環境も含めて広く考える。



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