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職場の安全標識
当初、中央労働災害防止協会(JISHA)の役員と一緒に、三菱重工業や日産の自動車工場や全日空の整備工場を視察しました。三菱重工業で「これが我が社の安全標識の全てです。」と言われたたくさんの安全標識は、写真で見るように、全て漢字による文字表記でした。ところが企業によってはすでに、3割以上の従業員が、日本語を読めない外国人従業員になっていたのです。
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危険の伴う職場をもつ全ての企業で構成されている全国組織の中央労働災害防止協会(中災防)から太田は直接発注を受けて、漢字表記の安全標識60種類ほどを、全てピクトグラム表記に作り替えるデザイン制作をして、危険の伴う全国の職場に取り付けられました。30年前の1992年のことであったと思います。
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それが今年になって、「ダブルスタンダードになるので製造・販売を停止したい。」と相談の電話が入りました。ダブルスタンダードはタブーであることを太田自身がよく知っており心配していたので、「結構です。」とすぐに了解しました。
太田が想像し心配していた通り、中災防のJISHAとダブルスタンダードでバッティングする規格内容はISO 3864 2011の図記号安全色及び安全標識でした。それは今から10年ほど前まで、太田がただ一人日本を代表して、国際標準化機構ISOの安全標識と安全色の国際会議(ISO/TC145/SC2)に30年ほどの長期間、毎年数回出席しながら、最終的に反対できなかった国連プロトコール(勧告案1949年)による国際道路標識を準用したフレーム(丸・四角・三角の枠)付きのデザインでした。
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前回のブログの記事で説明したイギリス代表のA.ウイリアムが、立派な自著の本によって推奨している道路標識方式で、一冊寄贈されたので、探せば太田の膨大な蔵書の中から見つかるはずです。彼は建築家で病院内の案内サインにピクトグラムを使いたいと考えて、ISOの関係委員会に関わっていたようです。
ある時ロンドンの会議で彼の姿がなく、体調を崩したようだと聞いたので、自宅に電話してお見舞いに行きたいと申し出た時、弱々しい声で身の回りが尋ねてもらう状態にない、と辞退されたのが、最後になった。A.ウイリアムは建築家だから、外側の枠から空間作りを考えるのが癖になっていたと言えるのかもしれませんね。