【日露戦争以外にあった!】列強を破った衝撃のジャイアントキリング
有色人種が欧米列強に打ち勝った戦争といえば何を思い浮かびますか?やはり一
番最初に日露戦争が思い浮かぶでしょう
しかしもう一つ有色人種が欧米列強に打ち勝った戦争があります。それが第一次
エチオピア戦争です。エチオピア帝国は数少ないアフリカの独立国でした。
そこを攻め入って東アフリカの領土を拡大しようとしたのがイタリアです。
最初はエチオピアに協力し、統一に貢献しましたがイタリアがエチオピアに不平
等条約を押しつけたため、エチオピアのメネリク2世は条約を破棄。
第一次エチオピア戦争の始まりです
イタリアはエチオピアの軍を旧式の、時代遅れのたかがアフリカの軍だと思い、
本国から増援は送らず既に植民地としていたエリトリアから軍を派遣しました。
しかし、攻め込んでみるとエチオピア軍のほとんどが近代的な装備を身につけて
いたのです。それはなぜでしょう。
当時アフリカに大きな植民地を持っていたフランスはイタリアの進出を危惧し、
エチオピアに近代的装備を送っていたからです。
それでも近代的戦術に長けているイタリアがコチナツの戦いでエチオピア軍を破
ります。その後負けたエチオピアを追走はするものの、近代的装備を手にしてい
るエチオピア相手に決戦をすることはありませんでした。
しかしここで本国の首相フランチェスコ・クリスピが動きます。
アフリカの軍隊との戦いを避けていることを非難し、決戦を命じたのです。
イタリア軍は1万、対するエチオピア軍は10万と数と火力で大きく上回っていまし
た。前の敗戦から学んだエチオピアはこのアドワの戦いで大勝利をおさめます。
この戦争で勝利したエチオピアの独立は第二次エチオピア戦争まで確立されまし
た。さて、この戦争の敗因はなんでしょう。
やはりアドワでの決戦を避けていたイタリア軍に首相が決戦を命じたことではな
いでしょうか。政府の都合で兵士何万人の命が失われた。この戦争はイタリアに
とっても忘れられない戦争になったことでしょう。