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『ONSEN MMXXIV』読書感想文

綺麗な藁半紙と形容しようか?全編そうしたザラっとツルっとな紙でできている。構成は、会話パートと写真パートが交互に6回ずつ続く。

本はまず会話パートから始まる。
会話は、誰の発言など区別なく、現場で交わされた内容がぎっしりと書かれている。
会話の内容はなんというか...方々から聞こえてくる居酒屋での会話のようである。ウェブで「プリミティブな会話」とレビューさていたが、これがそうなのだろうか?

写真パートは、野湯で撮られた人、山、湯だ。写真集を何度もめくっていくと、人なのか岩なのか山肌なのか湯面なのか段々わからなくなってくる。全て同じ。全て人のようであり、全て自然。区別がない。
区別がない区別がない区別がない...そういえば会話パートでもそんなことを思ったんだった...誰彼の区別なく書かれた会話...原初の頃、人は名前を持たなかっただろう。居酒屋のAテーブルとBテーブルで同じような会話がされているように、A湯とB湯でも同じような会話がされていただろう。なるほどこれはプリミティブと言えるのかもしれない。

人と自然が分けられるようになったのは、いつのことだろう?自然という言葉を持ってからか?もっと体毛の多い頃、はっきりとした言葉を持たなかった頃の私たちは、自然とは分かれていなかったのか。であれば、裸に戻り言葉だけに頼らなければ自然に戻れるのだろうか。

例えば、山の中にできた獣道の写真がある。獣道といっても野湯に通った人の跡だろう。これは、人が作ったものか?そうであるとも、そうでないとも言える。人は歩いただけだ。それを作ったのは自然だとも言える。その時、人と自然は分かれているだろうか。

『ONSEN MMXXIV』は、「一体」と言ってしまうと「何と何が?」と分かれて消えてしまう、言葉にできないものを紡ぎ、留めようとしている気がした。


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太田 貴彦
毎日海を撮っています。被写体である故郷に恩返しすることが目標です。みなさんにもできるだけ早くお披露目したいです。まずはコンテスト活動などに挑戦していきます。サポートはその活動費に充てさせていただきます。