次女が1歳になったのでこれまでを振り返る
こんにちは、りゅうさんです。
新年あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします。
とはいえ、もう15日ほど経っていますが、皆さん年末年始はいかがお過ごしでしたか?
わが家の年末年始は少し大変でした。
実は、27日から始まった連休初日に長女が熱を出しまして…。
元々、その前から咳が続いてはいたんですけど、ついに発熱してしまいました。
さらに翌日には下の子も体調を崩し、年明けの1月2日まで看病と療養の日々が続きました。
さらに、僕自身も最終的にはを引いてしまい、予定していた実家への帰省やおいしいものを食べる計画はすべてお流れになりました。
って感じで年末年始っぽいことはほとんどできなかったんですけれど、
31日の夜に少しだけ紅白を見て、そこだけは少し楽しめたって感じですね。
そして年明け早々の1月10日、次女が1歳の誕生日を迎えました。
この1年間を振り返ると、いろんなことがありました。
試練も多かったですが、その分家族の絆が深まった年だったと感じています。
というわけで、今回の内容は私事の内容になってしまうのですが、次女が1歳になるまでを少しだけ振り返ってみたいと思います。
家族の絆、そして、子育てのヒントをお伝えできればなと思います。
▼今回の内容は音声でも配信してます(内容が良かったら「いいね!」してくれると嬉しいです!)
悲しみを乗り越えて次女を迎えるまで
次女を授かる前に、僕たちは一度流産を経験しました。
その時は突然の出来事に何が起きたのか理解できないほどショックでした。
妻と肩を寄せ合いながら、「もう2人目は諦めたほうがいいのかもしれない」と何度も話し合いました。
その一方で、お互いの悲しみを分かち合いながら、ふとした瞬間に「それでも2人目が欲しい」という思いが心の奥から湧き上がってきました。
そして、改めて気持ちを整え、もう一度チャレンジすることを決意したのです。
しばらくして再び妊娠がわかった時は、本当に嬉しかったです。
それまでの辛い経験があったからこそ、この命を大切にしようという思いが一層強くなりました。
切迫早産と妻の2か月半の入院生活
しかし、妊娠生活は決して順調とは言えませんでした。
妊娠28週目で妻が切迫早産と診断され、医師から「すぐに入院が必要」と告げられます。
そこから約2か月半、妻は病院での安静を余儀なくされました。
入院中、妻はベッドからほとんど動けない生活を送りました。
一日のほとんどをベッドで過ごし、食事は看護師さんが運んでくれるトレイで済ませ、移動もベッドとトイレの間のみ。
シャワーも週に一度程度しか許されず、日々の不便さが大きなストレスとなっていたようです。
体力は徐々に衰え、気持ちも沈みがちでした。
一方で、僕も仕事と家庭の両立に奮闘しました。
長女の世話は実家にお願いし、休日は病院へ通いました。
面会時間が1日1時間しか取れなかったため、ゆっくり話す時間も取れず。
もどかしい思いを抱えながらも家族全員で協力してこの試練を乗り越えました。
入院は38週まで続き、そこから出産予定日の1月10日までなんとか持ちこたえることができました
出産当日の出来事
出産予定日の1月10日。
その日は検診が入っていました。
午前中、妻は病院へ行き、先生に「まだもう少しかかりそうだね」
そう言われて帰ってきました。
ですが、その日の午後。
昼食のチャーハンを食べた後に突然陣痛が始まります。
感覚は5分くらいとすでに短く、心配になったため病院へ連絡。
すぐさま入院することになりました。
ただ、まだ痛みもそこまで痛くなかったことからコンビニで買い物してから行くことに。
しかし、病院に到着する頃には急激に痛みが強まり、
なんとその日の17時過ぎに次女が無事に誕生しました(もう少しのんびり買い物してたらヤバかった)
次女の誕生は3222gという健康な体重で、産声を聞いた瞬間、胸がいっぱいになりました。
流産や切迫早産といった困難を乗り越えてこの瞬間を迎えられたことに、僕たちは心から感謝しました。
産後3日で無呼吸発作になりNICU搬送される
無事に次女が生まれたということで安心していたのもつかの間、またしても事件が起きます。
次女が生後3日目を迎えた頃、突然無呼吸発作を起こしました。
数十秒間、呼吸が止まってしまっていたんですね。
それも、2回あったみたいで、病院のスタッフの方たちが迅速に対応してくれたので命に別状はありませんでした。
その日は、妻があまり睡眠がとれていないということで病院に赤ちゃんを預けていたんです。
これがもし、妻だけだったら気が付かない可能性もあったのでかなりゾッとします。
その後、次女は念のためにNICUへ入院することになり、詳細な検査が行われることとなりました。
NICUでの1週間の入院生活では、詳しい検査が行われ、幸いにも大きな異常は見つかりませんでした。
しかし、僕たち家族にとってこの経験は大きな不安を残すものでした。退院後の生活に向けて、僕たちはさらに準備を進める必要があると感じました。
退院後、不安は消えることは無く…。
退院後も不安が完全に消えることはありませんでした。
次女が再び無呼吸発作を起こすのではないかという恐怖から、僕たちは夜間の見守りを徹底するためにベビーセンサーを購入しました。
マットレス下に敷くタイプとおむつに装着するタイプの2種類を使い、夜間は交代で次女の様子を見守りました。
これによって安心感は得られましたが、緊張の日々が続きました。
それでも次女の安全を守るためには必要なことだと考え、家族で協力しながら乗り越えていきました。
乳腺炎になったことで新たな問題が見つかる
次女が生後数か月を迎えた頃、妻が乳腺炎になりました。
胸が張って炎症を起こし、高熱に苦しむ状態でした。
そこで市のサービスを利用して、訪問助産師さんに自宅に来てもらうことに。
助産師さんは、母乳の飲ませ方や赤ちゃんの飲む量を詳しくチェックしながら、胸のケアを行ってくれました。
その結果、妻の乳腺炎の原因が赤ちゃんの母乳を飲む量が少ないことにあると判明しました。
さらに、飲む量が少ない理由が舌小帯短縮症という症状によるものだと指摘されました。
舌小帯短縮症と診断され手術をした
次女の舌小帯短縮症については、助産師さんの指摘を受けて、専門の口腔外科で診てもらうことにしました。
診察では舌の動きや形を詳しく確認し、特に舌先がどれだけ前に出るかを測定されました。
また、母乳を飲む際の舌の動きについても観察され、十分に動いていないことが明らかになりました。
その結果、舌小帯が異常に短いため、手術が必要であると判断されました。
舌小帯短縮症は、母乳の飲みにくさだけでなく、将来的には発音や食事に影響を及ぼす可能性があると説明を受け、僕たちは手術を決断しました。
手術は無事に成功し、その後も適切なケアを続けることで、次女の成長に良い影響を与えました。
術後は母乳の飲む量が大幅に改善し、体重も順調に増えていきました。
術後のケアとしては、舌が癒着しないように毎日マッサージを行いました。
慣れない作業で大変でしたが、次女のために妻と協力しながら乗り越えることができました。
さいごに
次女が1歳を迎え、振り返れば多くの試練と感動が詰まった2年でした。
無事に成長してくれたことに心から感謝しています。
この経験を通じて、家族の絆がより深まったと実感しています。
これからも、日々の小さな幸せを大切にしながら家族で歩んでいきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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