原初の謎-#4 入学試験【黄昏学園SS】

「黄昏学園校則、第42条!"始業に遅刻するべからず"!復唱!」
「黄昏学園校則、第42条!"始業に遅刻するべからず"!」
「小田切、なぜ遅刻したのだ!言え!」
「はい!朝、寝坊したためです!」
「黄昏学園校則、第82条!"朝6時起床22時就寝を目安に早寝早起を心掛けること"!復唱!」
「黄昏学園校則、第82条!"朝6時起床22時就寝を目安に早寝早起を心掛けること"…」
「声が小さい!もう一度!」

…前日に友人から借りた「ハコネコクエストII」でダンジョンに突入し、幾度となく教会に送り返されるなどして朝まで熱中していた愚かな生徒の末路である。
俺が遅刻したのはこの日きりだ。

ただ一度、黄昏学園校則という、
おそらくこの世で最もどうでもよいルールを破っただけだ。

それだけで、俺には「遅刻した人間」というレッテルが張られる。
学園中を歩くたびに、どこからともなく向けられる訝しげな目線と、
隅から隅まで自分の体を舐め回すかのように服装検査を行う、黄昏の会の姿が、俺の脳裏に鮮明に焼き付いている。

一刻も早く黄昏学園を離れたかった。
それは、高校生活の全てを勉学に費やし、大学に賭けるには、
十分すぎる理由だった。

【1979年2月某日 8:45 箱猫市内】

ジリリリリリリリリリ!
けたたましく、非常ベルの音が鳴り響く。

「当電車は、次駅、箱猫駅で緊急停車いたします。電車が到着次第、速やかに降車してください。」
車掌のアナウンスが、気味が悪いほどの落ち着いた声で放送された。

そして、非常ベルが鳴り止んだ。

これだけだった。

非常ベルを押した。
非常事態だ。
なのに、起きた出来事はこれだけだった。

乗客たち黄昏の会は全く動じる気配がない。
一言、
「黄昏学園校則第215条"公共交通機関の利用時、他の乗客に迷惑をかけないこと"!復唱!」
などと説教を垂れてくるか、
あるいは、普通の乗客一般人であれば「何かあったのか?」と声をかけてきてもいいと思うのだが、

一切、無反応だった。
まるで非常事態など気にしていないかのように、皆、座っていた。

俺はそれを見渡して、愕然としていた。
体の震えを奴らに悟られまいと、抑え込むので必死だった。

「次は、箱猫駅、箱猫駅、降り口は左側です。」

静寂を打ち破るように、案内のアナウンスが入る。
ようやく、この地獄から解放される。
受験は、この時間まで来てしまえばもうおしまいだろう。だが、最悪「電車の中に閉じ込められた」ということで追試験なんかにしてくれるかもしれない。
とにかく。今はもう箱猫駅でも何でもいい。出られさえすれば。
緊張の中に少しの安堵を覚えた、次の瞬間だった。

「どうしたのですか?ひどく汗をかいていらっしゃるようですよ?」

俺の後ろから、突然、声をかけられる。

恐る恐る、振り返った。
相手は黄昏学園の制服を着た人間黄昏の会だった。

終わったーー
と、一瞬頭を過ったが、すんでのところで考え直した。
今、自分は非常事態に対し非常ベルを鳴らすという当然の行いをしているのだ。
それで目を付けられる筋合いはない。
ならば、堂々としていればいいのだ。

だが、ここで間違えたらもう脱出は叶わないかもしれない。
慎重に、慎重に、俺は言葉を選んだ。

「いいえ、今、私は腹痛でお手洗いに行きたいのですが、電車が3時間以上停車せず不審に思ったため、非常ベルを鳴らしました」

奴らに受け入れられるように、丁寧な敬語を心掛けて報告する。

「それは失礼いたしました。
この電車はおそらくあと数分で箱猫駅に着くと思いますので、それまでご辛抱ください。
受験生の方ですよね?」
「あぁ、はい、受験生です」

非常ベルのことは、特に咎められなかった。
はぁ………と、深い安堵のため息を心の中で漏らした。

「間もなく、箱猫駅、箱猫駅、降り口は左側です。開く扉にご注意ください。
総合病院"有栖川メディカルクリニック"へは、1番出口が便利です。」

…箱猫駅に向けて電車がゆっくりと速度を落とす。
ようやく、脱出できる。

「あぁ、やっぱり黄昏学園の受験生だったんですね!ようこそ、黄昏学園へ!受験会場は箱猫駅の4番出口を出てすぐのところですよ!黄昏学園校則第191条「道路を歩行する際は実際の交通規則に従うこと」に沿って、気を付けて行ってきてくださいね!」

何か会話が噛み合っていない気がしたが、
その言葉を尻目に、俺は車両の扉が開いた瞬間、駅のホームに飛び出した。


電車は俺を降ろすと、そのまま走り去っていった。
俺はホッと肩をなでおろす。

ーーどれぐらいの時間が経ったのだろう。
時計を見る。

そこには、8:50、つまり電車に乗り込んだ時の時刻が示されていた。

よかった。あの電車の中での出来事は夢だったんだ。多分俺は、電車の中で居眠りして、変な夢を見たのだ。
大丈夫。まだ、入試に間に合う。
そんな考えは、

「………え?」

大学入試の3日後を示す、時計の日付を見た瞬間に打ち砕かれた。

嘘だろ。
自分の考えを打ち消してくれる証拠を探すべく、辺りを見回す。
しかし俺の目に飛び込んできたのは、一つの案内板だった。


「黄昏学園高等部 入学試験会場はこちら→」


今日は黄昏学園でも入試が行われる日だっただろうか。

いや違う。
今日は国公立大学2次試験の日であって、黄昏学園の試験の日ではなかったと思うし、そもそもこの案内板自体、こんな目立つ場所に置いてなかったはずだ。

ーーそこで俺は、さっき一瞬覚えた違和感に気づいた。

"あぁ、やっぱり黄昏学園の・・・・・受験生だったんですね!

ようこそ、黄昏学園へ!"

「まさか…!!」

受験票を取り出す。
その受験票は、黄昏学園高等部の、昭和53年度、すなわち今年の入学試験の受験票だった。
東京大学の受験票は、跡形もなくなっていた。

生徒手帳を取り出す。
その生徒手帳は、俺の母校、夜桜丘よざくらおか第二中学校のものだ。

上着を脱いでみる。
俺は黄昏学園の制服を着ていなかった。
これは夜桜丘中学の制服だ。


俺が黄昏学園の高等部であったことを示すモノは、どこにもなくなっていた。


まるで、俺が、今から黄昏学園を受験しようとしているかのように。

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