2024年正月のPNKT日誌 9(最終回)
昨日お迎えしたブリは早速、午前中の雑煮、そして午後のブリしゃぶと八面六臂の活躍を見せた。
さすが、鳴り物入りで登場し、我々の予定を全部ひっくり返してしまっただけのことはある。
まるで大晦日にレコ大(今は「年忘れにっぽんの歌」?)と紅白など生放送をリアルタイムではしごする歌手や、正月どのチャンネルを見ても出ている売れっ子芸人のようである。
昔はレコ大に出演した後紅白に出番がある歌手は、警察が道路を交通規制して赤坂から渋谷まで先導して送り届けていたと聞いたことがあるが、今はどうだろう。
レコ大も紅白も観ない者が勉強不足を顧みず言うので本当のところは分からないが、両者とも出演者の多様化が進んでいて両方の番組に出演する人っているのだろうか?
まあ現代であれば、ヘリで移動するだろうな。
そんな自分が心配しても仕方がない話よりも、なんといってもブリこそが興味の対象であり、また実際に食卓の主役として君臨した。
3日は一日きょうだいでとにかくブリを食べまくり、大いに満足した。
ところが満腹になったところで、まだ食べ終わったものと同じ大きさの半身が一本まるまる残っているのである。
種を明かすとこのブリはおすそ分けでいただいたものであった。
わざわざ正月に、しかも半身を二本おすそ分けするくらいだから、先方の家庭ではとても食べきれないくらいあったのか。
うちにとってはありがたいばかりだ。
そこで残ったブリの半身はさらにその半分を自分が持って帰ることになった。
姉が自分に持って帰らせる分まで切り身に分けていたので、大きく半分にきってくれたらよかったのに、とまた自分も余計なことを口出ししてしまう。
姉は憮然とした調子で、この方が公平に分けられる、とか、食べやすいと思って、などとあまり合理的とは思えない申し開きをしていた。
まっさきに気がかりになったのは、切り分けてしまうと足が早くなってしまわないかということだった。
見ている地図が違う者同士ではやはりもうひとつ話が通じないものだ。
まあ、足が早いものなら大阪にもどって翌日にでも調理すればいいだけの話ではあるし、姉も帰ってすぐに調理するなり冷凍するなりするだろうと思っていたのだろう。
実はもう一つ文句の動機があった。
大きな塊から自分の好みの大きさ、もっと言えば、定食屋で出てくる塩焼きや照り焼きのような大きさに切りたかったのである。
そのようなつもりにしていたところに、姉は気を利かせたつもりか知らぬが、お造りの大きさに切り分けられてしまってはたまったものではない。
自分の楽しみを奪われてしまって条件反射的に感情が動いてしまう。
あんたは刺し身で食べるんか、しゃぶしゃぶか雑煮にでも入れるのかも知れんがワシが同じようにするとは限らんじゃろ!と心の声が喉元まで出かかる。
こういったところに変にこだわりが強く、思い通りに事が運ばないと脳がバグを起こしてしばしば発狂しそうになる、といったところにポンコツの片鱗が見え隠れする。
自覚があるのなら人に当たり散らす前に極力抑えたほうが身のためだが、抑えるという行為自体がいちいちストレスにはなる。知らない間にストレスを抱えていつも疲れているのがポンコツである。
どうせブリが切り身になったくらいのことだから、先程の心の声は封印し、あまりネチネチ言わずに穏便に済ませ切り身を持って帰る。
そんなこんなで当初の予定から少し遅くなってしまったが、帰り支度をして最寄りの駅まで姉に送ってもらった。家に帰ればまた制作の続きだ。提出できるところまで何が何でも仕上げなければならない。
今回はポンコツなりにテキパキと事をこなせたし、枝切りは自分で見てもだいぶスッキリさせることができたため、まだ優秀なほうだったと自負しながら帰りの電車に乗る。
在来線と新快速を乗り継いで大阪に戻る三時間弱の旅だ。
在来線に乗り込んで少し経ったころ、姉からLINE通話の着信があった。
もう車両の中だから通話に出ずに「どしたん」とメッセージを送ると、
岡山で買った土産物を持って行くのを忘れているぞ、と返信があった。
いやはやなんとも、うっかりしていた。
すぐに着払いで送ってもらうよう頼み、二日後に受け取ることができたが、ここでも「ポンコツ税」が発生した。
更に電車で居眠りをしている間に、仕事先から「明日午前中から使う譜面がまだアップされていないが」とメッセージが入っていた。
最後にやっぱりいろいろやらかした。これだからPNKTは…。
と言っても病気のように治るものでもなし、諦観します。
(了)