大切な孫との時間
生き物は、産まれた時から終着駅に向かって歩いている。
必ず、訪れる死から目を背けず、それまでの時間を大切に生きて欲しい。人生の幕引きには色んな形があっていいと教えてくれた在宅で出会った方たちと看護師のお話です。
「一番大切にすることは、本人の想い」だから本当の意味を考える。
ところが、何が一番いいことかは、病気になると、刻々と変わる。大切な人を思う人々の心は揺れ、決心したことが変わることもある。
Aさんは七十代男性で、奥さんと長男夫婦、六歳の孫と暮らしている。
長女は他県に住んでいて、正月に帰省した時は、Aさんが運転する車で、最寄りの駅に迎えに行ったといいます。
正月は家族が集まる行事の1つ。
一年前からAさんの体重が減っていることを心配していた奥さんは、近くに嫁いだ次女家族も帰省するこの時期に、Aさんの体調が心配なことを相談しました。
家族の勧めに従ってAさんは、正月明けに開業医にかかります。そこで、すぐ総合病院へ紹介されました。
奥さんの心配した通り、癌の診断で転移もあって入院治療となりました。
点滴を鎖骨から入れて、点滴棒を押して歩くようになりました。
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私たち訪問看護師が退院したAさん宅に訪問すると、居間には家族写真が飾られていました。湯船に入る笑顔のAさんと孫五人の楽しそうな姿があります。
家に帰ったAさんと写真をきっかけに話をしていると、彼は薄々自分が病気ではないかと感じていたと言いました。
隣の部屋で奥さんに話しを聞くと「早く病院に行くように強く言えばよかった」と言い、できる治療はしてあげたいから、病院で最期を迎えることを決めて退院したと話しました。
入院すると、家か病院かの選択肢から今後の療養先を決めることが往々にしてあります。
Aさんは、何を選択するのが一番いいのかを迷って、自分で歩けるうちは家で生活して、奥さんが介護疲れで共倒れしないように、ゆくゆくは病院を選択しました。家族も、彼の意向に従いました。
Aさんを含む家族全員が、病気がわかってから、現実を受け止めて何かを選ぶには、想いを整理する時間が少なすぎました。
それを感じた私たち看護師は、手当が終わった帰り際に「今の想い」を聞きました。
奥さんは、Aさんが、正月に孫たちとコンビニにお菓子を買いに行っていたことを語り、それから2~3ヶ月で、今の状態になっている現実を受け止めようとしていました。
「いつ病院に行けばいいのか、判断できない」と迷いを話してくれました。
また別の看護師は、仕事が休みで庭木の剪定をしていた息子さんに話を聞きました。
Aさんの両親も癌を患って、その闘病中に、癌は薬(医療用麻薬)を使うと、人格が壊れてしまうと、Aさんが話していたというエピソードを教えてくれました。
それを聞いて、Aさんが痛み止めを我慢する理由がわかりました。
息子さんは、医学は進歩して、治療に使う医療用麻薬は調整できるもので、痛みや苦しさを軽くしてくれることを知っていました。
「俺が言ってもだめだけど、子供が、コップを渡すとのむんだよね」
家族全員がAさんの苦痛がとれるように関わってくれていました。
私たち看護師は、それぞれ語られた思いを共有して、入院する時期を一緒に考えました。
そして思ったことは、一番大切にしたい想いは「孫と過ごす時間が続くこと」のように感じました。
私たち看護師はAさんの苦痛が少ないように、家族からの情報と訪問した時の様子を医師に伝え、症状に合わせた痛み止めの使い方を家族ができるように伝えていきました。
突発的な心配事が起こったら、電話で教えてもらい緊急訪問をして、解決方法を家族と一緒に考えました。
奥さんはAさんのお父さんを介護した時に痰の吸引を経験していました。
心強いことに娘さんたちは介護職で、点滴や痰の吸引、痛み止めの使い方など苦痛を取り除く方法を実践できました。
交代で帰省してくれる娘さんたちも加わり、歩くことが少なくなったAさんに関わる暖かい手は常にそばにあります。
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Aさんの様子が違うとの連絡で看護師は臨時訪問しました。
血圧が下がっていて、入院をするのなら、今を逃したらありません。
「病院に行きますか」第一選択肢であった意向を確認しました。
息子さんは「家でこのまま看たい」「父は家にいることはできますか」と答えました。
Aさんも、そう望んでいると家族は思ってくれていました。
私たち看護師も同じでした。
孫たちは、新型コロナウイルス感染対応で保育園や学校が休みになり帰省していて、その日から、家族全員が揃って数日過ごせる予定でした。
Aさんは、五人の孫たちが横で遊ぶ声を聞きながら、家で最期を迎えました。