百歳超えたお母さん
生き物は、産まれた時から終着駅に向かって歩いている。
必ず、訪れる最後の時。それまでの時間の長短は自分では決められない。遠い未来かもしれなくても、今からを大切に生きるため「人生の幕引きには色んな形があっていい」と教えてくれた在宅で出逢った方たちと看護師のことを知ってほしい。
歳は100過ぎの女性、認知症は薬の必要がない落ち着いた状態で、介護申請の時だけ近くのクリニックに受診する。
数年前から歩く時のバランスが不安定で、前から手を引いてもらって歩いている。
介護をしている娘さんと担当ケアマネが医療面のサポート体制の充実を希望して訪問診療と訪問看護の利用を始めた。
娘さんと言っても70歳代で持病を持ちながらの介護。ひ孫も一緒に暮らしている。昼間は、ひ孫さんは仕事に出かけている。
娘さんは自分の通院の予定が入ると「スケジュールがわからなくなるから」と訪問看護の予定をキャンセルする。
食事は粥を茶碗1杯と副食4品に水分は1日800mlを目標に野菜ジュースやカルピス、お茶を飲んでいて、むせることもない。
スーパー100歳だ。
訪問開始当初、娘さんの気がかりだった、おむつやパットの当て方は、看護師と一緒に工夫して、漏れる心配は解決する。
手引きで歩けば、洗面所で歯磨きができる。
ところが目的を果たして居間に戻る途中で、足の力が抜けてしゃがみ込んでしまうようになる。
娘さんから「心配だから看に来て欲しい」と訪問希望の連絡があった。
痛みや血圧などの変化はなくて、何もなくて良かったと安堵した。
私たちは、彼女の歩く距離に加減が必要なことを学ぶ。
娘さんは、このことで涙ぐみ「もう歩かない方がいいでしょうか」と言う。
お母さんのことを心配して、自分の判断や努力が正しいのか不安になっていた。
今までの対応の仕方を聞いて、不安を傾聴して、間違っていないことを伝える。
方法の間違いではなくて、歳をとることで、残念だけれど、できなくなることが増えていくことを伝える。
そして、彼女にとって苦痛でない方法を一緒に考える。
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これを機に、朝の洗面はベッドサイドに洗面器を置いてするようになる。
娘さんが手伝っていた入浴は、ヘルパーさんが介助するようになる。
主に生活する場所を居間の椅子から、ベッドに移した。
食事が減ることを予測して、高カロリー食品を提案する。「こういうものがあると助かる。」と娘さんは喜んだ。
動きが少なくなったことから、理学療法士の介入を始めて、関節の動く範囲の訓練や、座る状態から立つこと、足の筋力を評価して、体を無理なく動かすことを維持できるようにする。
目標の1つに、70代の娘さんの介助量が増えないことを加えて。
100歳過ぎても彼女は、看護師が渡した名刺を「〇〇さん」と読める。
日常的にベッドを起こして本を読むこともある。
娘さんから相談の電話がある。解決方法として、お腹を温めることと、お腹のマッサーシ゛の仕方を伝える。
娘さんはできることが増えた。
お母さんは、リハビリで寝たまま、お尻上げや膝を伸ばした足上げができて安定した状態が数か月続いた。
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食事量が減ってきた。それでもむせることは無い。
肺の音もきれい。
お尻に赤い所ができたけれど悪くはならない。
リハビリでは少しずつ自発的な動作や、横になった時に協力する動作が減ってきた。
何となく体のスイッチが入りにくい印象になっている。
ケアマネと相談して、一時的な変化かも知れないけれど、看取りが近づいていることも考えて支援していこうと方向性を定める。
娘さんに看護師の介入を増やす提案をしても「悪い想像ができないと」言う。
予定が変わると混乱してしまうことや、お母さんの終着駅への歩みを認められないのが理由のよう。
そうなると私たち看護師の介入頻度は変えられない。
最後の定期訪問は常時眼を閉じていて、声をかけても反応が乏しい状態。
やはり看取りが近いことを感じる。
かかりつけ医やケアマネにも状態を伝える。
定期訪問の回数は増やせなくても、変化があれば発信するよう伝える。
娘さんは発信してくれる。
「様子を見てもらいたい」との電話で臨時訪問を2回した。
3回目の電話は「様子がおかしいので来てください」
娘さんは落ち着いた声で言った。
臨時訪問すると、すでに反応は無く主治医へ報告した。
100歳超えたお母さんは早朝に旅立った。
「今朝まで、普通だったのに」
娘さんは茫然として、体が動かない。
ひ孫さんは仕事に行く前で、娘さんの代わりに親族に連絡している。
100歳過ぎた母から、70歳の娘へ最期の気遣い。
これからは、ひ孫さんが70代のおばあちゃんを支えてくれる。