耳は最後まで聞こえている
生き物は、産まれた時から終着駅に向かって歩いている。
穏やかで気持ちよく過ごして、それまでの時間を大切に生きて欲しい。
人生の幕引きには色んな形があっていいと教えてくれた、在宅で出会った方たちと訪問看護師のお話です。
Aさんは60歳代男性。最近まで都会で料理人をしていました。胃癌がわかって治療が始まりましたが、一人暮らしを心配した息子さん家族に同居を提案されて、田舎に引っ越してきました。
数ヶ月後に食事が摂れなくなり、こちらの大学病院に入院になりました。鎖骨のところから高カロリー輸液と、痛み止めの薬を24時間つなげて点滴で落としています。
私たち訪問看護師に病院の退院支援室から連絡があり、Aさんと会うことになりました。
病院のカンファレンスルームにはAさん、息子さん、担当医、病棟看護師、退院支援看護師がいて、在宅側は、訪問診療医、ケアマネ、福祉用具担当者、私たち訪問看護師が集まりました。
病気の経過を病院スタッフから聞き、私たち在宅スタッフは、点滴の量、昼間の様子、夜は眠れているか、トイレやお風呂はどんな風にしているか、不安なことはないか、そして大切にしていることは何かを聞いて・・・・・
家に帰ったらどんな支援が必要かを皆でイメージしていきました。
Aさんは、点滴棒を押して病棟内の生活は一人でできています。息子さん夫婦は子供達がまだ幼く、車で1時間の大学病院へは頻回に来ることはありませんが、困ることはないようです。
Aさんと息子さんは、家族が一緒にいることが希望だと話しました。何年も離れて暮らしていたこともあってか、生活を共にすることが一番で、育児と介護が重なる暮らしに不安やマイナスなイメージはないようでした。
Aさんの部屋には、専用の冷蔵庫があって、入院前は自分で選んだ食材で調理していたというエピソードも息子さんから語られました。
さすが料理人です。
退院日が決まったら病院から連絡をもらうことになり、カンファレンスが終わりました。
数日後、大学病院の看護師から私たち訪問看護に電話がありました。
料理人だったAさんが食事の楽しみを続けられるように胃ろうを造り、口から入れた食事は胃ろうからつながった廃液バックに流れてくるという状況になってから、退院になるというで連絡でした。
ということは、
鎖骨から細いチューブが出て、そこから栄養の点滴と痛み止めの点滴がポンプにつながって、胃からは太めのチューブが出ている状態で、それぞれ一日中 点滴棒にぶら下がったまま生活することになります。
退院日、Aさんが家に到着する時間に、ケアマネと私たち看護師は向かいました。
お嫁さんは開口一番「どうやって着替えるの?」と。
当然の質問です。チューブがあると袖を通すことは難しいのですが、病棟看護師が身支度を済ませたので、着替え方をAさんも家族も知りません。
私たち訪問看護師は説明しながらパジャマに着替える手伝いをして、点滴チューブが抜けないように紐で工夫して点滴スタンドに吊るしました。
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ところがその日の夜中、トイレで点滴のチューブが抜けてしまい臨時訪問になりました。トイレは床が低く、入る時に段差があって、踏み込んだ勢いで廊下に置いた点滴スタンドから、斜めにチューブを引っ張って、抜けてしまったようです。
事なきを得て、夜中のトラブルは一度だけでしたが、チューブがたくさん出ている自分の体と付き合う生活は大変でした。
Aさんは自分の部屋で日本茶を入れるのが習慣です。
定期訪問の看護師の前で、茶葉を入れた急須の蓋の上からポットの湯をそそいだことがありました。毎日やり慣れたことができないのです。何だかぼんやりしていると家族も感じています。せん妄といわれる状況になっていました。
それから数日後の土曜日、Aさんは目を開けることが少なくなり呼吸が荒くなりました。朝の挨拶をするために部屋を覗いた息子さんから、私たち訪問看護師に「様子が違う」と連絡が入り緊急訪問になりました。
看護師が訪問すると、息子さんの言うように反応が悪く呼吸は速く、数分後~半日の間に更に状態が悪くなることが明らかでした。
耳は最後まで聞こえていると言われています。平日だったら、息子さんは仕事に、お孫さんは小学校や保育園に行っている時間です。
この時間をAさんが選んだのだとしたら・・・
周りに家族がいることを感じて欲しいと、訪問した看護師は思いました。
看護師は、声が聞こえていることを家族に伝えました。
孫たちはベッドに乗って「じーじ、ありがとう」と声をかけ、息子さんとお嫁さんは手や足をさすってくれ、Aさんの呼吸は間隔が長くなり、数が少なくなって静かに止まりました。