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「息子のお陰でいい経験をさせてもらった」と言ったお母さん

生き物は、産まれた時から終着駅に向かって歩いている。穏やかで気持ちよく過ごして、それまでの時間を大切に生きて欲しい。
人生の幕引きには色んな形があっていいと教えてくれた、在宅で出会った方たちと訪問看護師のお話です。


肺癌で入院治療を受けていた40歳代Cさん。病院の退院支援看護師から訪問看護の依頼がありました。治療の継続ができなくなって、ここ数日の間にも病状が変わってきているので、在宅療養を選択肢にできるようにカンファレンスを開くので、参加して欲しいという内容でした。


Cさんは奥さんと子供2人の4人暮らし。両親は車で1時間位離れたところで暮らしています。

訪問診療医と私たち訪問看護師、癌末期は65歳未満でも介護申請ができるのでケアマネにも声がかかりました。なるべく早くカンファレンスが開催できるように調整して、数日後に日程が決まりました。

ところが、カンファレンスが予定された前日に、Cさんの意識状態が更に変化して目を開けず声をかけても頷く時と、それさえない時が出てきました。

退院カンファレンスでは主治医から冷静に厳しい現実を伝えられました。

病状説明が終わるとCさんの母親が「食事ができない。話もできない。一人で起き上がることもできない。こんな状態で退院していいんですか」と声を上げました。

広いカンファレンス室にコの字で設置された机に病棟医師、病棟看護師、退院支援看護師、相談員が並び、お母さんの横には奥さんが座り、在宅チームは訪問診療医、ケアマネ、福祉用具担当者、訪問看護師も2名参加していて、総勢11名が黙り込む一瞬でした。


私たち看護師は、お母さんの辛い気持ちにどう寄り添うかを考えていました。

お母さんは、少しでも入院前の状態に近づかないと帰ることはできないと考えていたのでしょう。短い期間で寝たきりになってしまった自分の息子の病状を受け止めるのは、母親であれば尚更難しい。当前です。


在宅で診療をしている訪問診療医が口を開きました。

「残念ながら人は早い遅いはあるけれど、必ずこの世からいなくなる。病気と闘って今がある。今からの時間をボーナスタイムと捉えて過ごすことをすすめる。家で家族と過ごす時間を選択するならサポートします」

奥さんは表情を変えずに話を聞いていましたが、意見を求められ「家に帰りたいと言っていたので、本人の意思を尊重したい」と言いました。
奥さんは介護施設の看護師で、考えを持っていたのだと思います。

        *

お母さんにとしたら、自分の息子が先に逝ってしまうかも知れないなんて、考えてもいなかったことを突き付けられたのです。治すために入院して、歩いていたし、しゃべっていたのです。

本当に病院で何もできることは無いのか、家で何を注意したらいいのかなど理路整然と幾つもの質問をしました。一つ一つの質問に医師や看護師、ケアマネが応えました。
後で知りましたが、お母さんは元教師で、地元では講演会を頼まれて色んなジャンルの講話をしているそうです。次から次に的確な質問をするはずです。


病院スタッフや在宅スタッフから様々な説明を受けて、お母さんの口調が穏やかになってきました。


「退院します」落ち着いた声。お母さんも決めました。


その言葉を受けた訪問診療医がCさんに残された時間を考えたのでしょう
「今から介護タクシーは手配できますか」と病院の相談員に聞きました。

そうです。Cさんは、今から退院することになったのです。


カンファレンスに参加したメンバーはそのまま先回りしてCさんの自宅に向かいました。

家に高校生の子供さんが帰ってくる時間に、介護ベッドを搬入して、先回りした私たち訪問看護師も設置する場所を一緒に考えました。
まもなくCさんと奥さん、お母さんはストレッチャー式の介護タクシーを使って家に着きました。


栄養となる高カロリー輸液は、鎖骨のところから出ている管からポンプを通して落としています。訪問診療医の診察も終え、私たち看護師は奥さんと管理方法を確認して、今晩無事に過ごすことを考えました。心配な様子があったら、家族の誰もがすぐ連絡できるように、訪問看護の連絡先を壁に貼ってもらいました。


一晩過ごして心配なことがなかったかの確認もあり、翌日も私たち看護師は訪問しました。奥さんは介護休暇をとる調整をするため仕事に行き、お母さんが滞在していました。
お母さんと一緒に私たち看護師はケアをしました。

話が上手なお母さんはCさんのことや自分のことを話しながら、手を動かしています。私たち看護師が、どんなところを観察して、何を目的に手当しているかを説明すると「あなたたち、尊い仕事だわ」と感動してくれました。

家で過ごすようになったCさんは、帰った日の夜に言葉を発しました。かすれた小さな声でしたが、奥さんが上手に食べたい物を聞き出して、果物を食べました。ここ数日、何も口にしていなかったのに食べることができたと、その時のことをお母さんは教えてくれました。

その翌日は、Cさんと子供さんが会話をして、また果物を食べました。そのこともお母さんにとって嬉しいことでした。

痛みがあるような表情をすると家族が声をかけて、医療用麻薬は往診した医師と相談の上、貼り薬の量を調整しました。

病院で眠っていたCさんは、家にいることがわかって家族に話をしているのだと、お母さんも私たち看護師も感じました。
先月まで、お母さんと同じく教師をしていたCさんが、言葉で伝えたい想いを蘇らせたのだと思うのです。


最期まで家族と会話をしたという事実は宝物になりました。



後日、グリーフケアでお宅に伺いました。

グリーフケアとは、遺族の死別後の悲嘆のケアです。私たち看護師は、家族と共に最期まで過ごした日々を語り合います。

在宅(家)で過ごした時間を共に振り返りました。
ご遺影を前に、家族全員の頑張りがあったから成り立ったし、Cさんの意思を尊重して在宅療養を決めて良かったと奥さんは話しました。私たち看護師も同じ思いでした。

お母さんは「息子のお陰で、いい経験をさせてもらった。あなたたちのこと、講演会で話すわ。家にいられること、みんな知るべきだわ」と笑顔をくれました。


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