家という空間
入院治療が終わって「家に帰りたい」と思う方は多いです。ただ、それが実現することばかりはなく、病状や介護環境などのそれぞれの事情によって、治療後は別の病院に転院する方もあれば、施設に行く方もあります。
どれも正解だと思いますが、私が訪問看護で出逢った方たちは、家を選んだことで、家が持つ力に助けられているように思います。
病気でなくても、仕事が立て込んだ時とか、出先で疲れたなぁと思う時は、「早く帰って、ゆっくりしたい」と家が恋しくなりますよね。
私も家は大好きです。帰るとホッとします。
個人的な話になりますが、子供が社会人になった時に、「そうだ。今度は私が学生になろう」と思い立ち、私は心理学の勉強を始めました。
訪問看護師として個人のお宅で看護しながらの勉強でしたので、卒業単位に関係のない住宅についても興味がありました。
単位を取ることで大学で、戸建てや集合住宅の機能や地域との関係、建築については有名なル・コルビュジエの建築物を生かしたADGsの実現などを知ることができました。
それらを仕事と重ねて、家という空間の持つ意味を考えるようになった気がします。
家には、十人十色の物語があります。
自分の持つ山から切り出した木材を大黒柱として使った家は、男性親族総出で伐採して山から降ろしたそうです。柱を眺めたら家の柱にまつわる歴史を思い出すのだと思います。
団地や住宅地に住む方は、顔色や声で お互いの体調がわかってしまうくらい、近所の知人と親戚以上の関係を築いていることがあります。いつも何かのついでに顔を覗いて、そこに何気ない いつもの会話があります。
転勤が多かった方が建てた家には、永住を決めた土地への思い入れがあります。
逆に何代も前からの先祖が住む土地に建つ家は、ご近所も同じく先祖代々お付き合いがあります。中には隣同士ほとんどが親戚の家という地域もあります。一歩外に出て会う人は、産まれた時から知っている顔なじみばかりです。
家業を継いで長く住む人は、周りに家が増えたり区画整理で道路が変化したりを見てきています。
生活を営む家には、そこに住む一人一人の積み重ねられた思い出があり、家の中には大切な家族の姿と重なる場所があります。
その人がいつもいる場所、例えば台所だったり、縁側だったり、リビングのソファーやコタツだったり・・・
好きな場所、例えば風呂だったり、寝室だったり、先祖と話をする仏間だったり・・・
そこに居なくても、思い浮かぶ大切な人の姿があります。
育ってきた環境には、心を許せる安心感があるのです。
家で繰り返えされる何でもない日常が、心のよりどころになるのだと思います。
退院の話が進まなかった大工さんは、病院では自分の状況を受け入れられず、考えをまとめることができないので、医師や看護師の話に返事をしませんでした。これからどうしたいのかを決められないのです。
本人に代わって家族が退院を決めて自宅に帰り、自分が建てた家では本心が言えました。
「風が吹くように居なくなっているはずなのに、まだ生きているんだよ」
家に帰ってすぐに、病気が治ることはないと思っていると 言葉で表現しました。
私たち訪問看護師は、病気を受け入れていく過程に寄り添って、家で普段通り生活することを支援しました。
自分らしく生きていくことは、まさにホームである自分の家に帰ることで叶いました。
家には不思議なパワーがあります。
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