仕事のこと
考えてもいない想定外の現実は、受け入れがたい。変えられない事実を変えたいと思ってしまう。でも、病気は待ってはくれない。
医療の現場では、答えのない深い悲しみの底に、今にも沈んでしまいそうな方と出逢う。
そんな時に、少しでも力になれるのであれば、寄り添わせて欲しい。
そんな思いで、たくさんの方々の大切な人生の尊い時間を一緒に歩ませてもらった。
母の1周忌を終えた2021年12月から始めたnote。その約1ヶ月後に父も病気で亡くなった。
生前母は、休日に私の仕事の電話が鳴ると「悪い仕事だね」と、出かける私を心配した。そういう母も若い頃、声が出せない患者さんにナースコール代わりに笛を渡して、昼夜問わず笛が鳴るから、同僚に恨まれたという逸話のある看護師。仕事の特性はわかってくれていた。
いつかやってくる、自分の大切な人の死を、頭の隅に置きながら、続けていた仕事。
在宅で関わらせて頂いた病気を持つ人と家族は、皆さん違う価値観や環境にありながら、生きている。
日々の積み重ねの延長に引き際の時があって、その先には遺される家族の生活が続いている。
考えて考えて進んだ道は、間違っていない。
その時間に意味があると信じたい。
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24時間365日を支援するために、必要とされれば、休日や夜間も電話が鳴ると療養者の元に出かけた。
私は仲間に恵まれた。そう、想いは同じ。
辛さを抱えて不安になっている方が、どんな表現をしているのか、それには どんな理由があるのかをみんな考える。
そして、どう支えるのか。
迷っている方が自分で道を選べるように、一人で訪問している私たち看護師は、その方の家で一緒に悩んでくる。
事務所に戻って、今日の報告をする。
話しながら相手を思って辛くなると、聞いている看護師も涙ぐんでいる。想いは共有される。
一人で抱え込まないでいられる環境。
約二十年携わった訪問看護の思い出は、まだまだ尽きない。