大出血することなく穏やかに
生き物は、産まれた時から終着駅に向かって歩いている。
穏やかで気持ちよく過ごして、それまでの時間を大切に生きて欲しい。
人生の幕引きには色んな形があっていいと教えてくれた、在宅で出会った方たちと訪問看護師のお話です。
Eさんは、90歳代男性です。だるさが続いて近くにクリニックに行ったら、血液検査で貧血があることがわかり薬を飲み始めました。それから数ヶ月経った頃、受診中に顔色が青白く血圧も下がって総合病院を紹介されました。
精密検査で胃癌による慢性出血の診断で、入院して胃カメラで止血処置と輸血の治療を受けました。次は黒い便が出て、緊急で再度止血剤散布と輸血をしました。
処置で症状は治まったので退院することになりました。
貧血の原因である出血の治療は終えましたが、腫瘍は大きく胃の通過が悪い状態だとわかり、食事は食べられたり食べられなかったり。便通が滞らないように下剤の調整も必要です。
入院中の検査で、腹部大動脈瘤があることもわかり、今後は貧血の進行や腹部大動脈瘤破裂も心配な状態で、高齢でもあり体力低下による転倒も注意しなければいけません。
入院前は介護保険を使っていませんでしたが、病院から在宅療養にあたり介護申請を勧められました。
そこで、ケアマネから医療的なケアの依頼が、私たち訪問看護師にありました。
(私たち・・・と表現するのは、24時間在宅療養のサポートをするために看護師が複数人のチームで対応するからです。その方の大事な人生の一部を支えることは、一人の看護師の力では到底叶わないのです)
息子さん2人からはデイサービス利用の希望もありました。
Eさんは、食後に吐くことがあって、唯一食べられた粥や豆腐を1~2口が摂れなくなって、高カロリー飲料と乳酸菌飲料や牛乳、茶などの水分だけになっていました。
退院前に食べていい物として指導を受けた絵で描かれた表は、冷蔵庫に貼ってありました。その表は、少しでも食べて欲しいと願う息子さんの目標になっていました。
初めて訪問した日、Eさんは畳に座っていました。難聴があるので耳元で話をすると返事をしてくれます。
看護師が挨拶すると、名前を覚えようと名札を見るために探しものを始めました。それを見た息子さんが「メガネなら、もうかけてるぞ」と言って、その場の雰囲気が和みました。
息子さんによると、トイレの時は自分のペースで歩いているそうで、お風呂も息子さんがそばについて入っています。Eさんの力は、それだけでも凄いことです。
自分でできるように見守っている息子さんの上手な介護が、お父さんの力になっているのです。
私たち看護師がお腹を見せてもらうと、腸の動きは良く下血もありません。手や足と腰に浮腫みがあるからか、動きに支障があったようで、トイレに行く時に転んだことがあったそうですが外傷はないようです。
週3回半日は、下の息子さんの勤め先のデイサービスに、安全な入浴が目的で行くようになりました。茶目っ気のあるEさんはデイサービスでは人気者です。客商売をしていたから話も上手です。
家族全員が、このままデイサービスを楽しんでくれることを祈りつつ、腹部大動脈瘤から出血が起こって急変する可能性がある事を理解していました。
悪い想像に当てはまってしまった時に対応できるように、かかりつけ医の往診依頼の検討と、訪問看護がどんな関わりをするか具体的に決めていきました。
*
退院から1ヶ月経った頃、デイサービスへ外出することで疲労が強くなると感じられるようになりました。食事は食べられたり食べられなかったりの繰り返しのままです。
父親の様子を聞いた娘さんは、県外からの帰省は大変な時期でしたが、PCR検査をして帰ってきました。
ケアマネと兄妹3人で今後について検討され、デイサービスは回数を減らして、気分転換のために顔を出す程度にして、訪問入浴を使う予定になりました。
その矢先に、朝から調子が悪かったEさんは、訪問看護が伺った時に血圧が90代で 肺の音が悪く痰が絡む咳が出て、起き上がることが難しくなってしまいました。
私たち看護師はケアマネに報告して、ケアマネはベッドに褥瘡予防のエアマットを入れるよう手配しました。
家族はデイサービスに行くことは もう無理だと決断しました。
私たち訪問看護師は、おむつの当て方など寝たままの介護方法を息子さんに伝えました。
病院で最後を迎える希望を確認しましたが、その意思はありません。
息子さんは最期が近いと覚悟しました。
私たち看護師は、家で最期まで看ていくために、いざという時にどう対応するかを息子さんと確認しました。
痛みが出てきたので、往診で痛み止めの貼り薬と屯用薬が処方されました。
息子さんから「酸素がほしいって言っている」と連絡があり、私たち看護師が緊急訪問に向かう途中で「息をしていないかもしれない」と再度連絡が入りました。ほんの数分の間のことです。
Eさんは、心配していた大量出血をすることなく穏やかな最期を迎えました。
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後日、私たち看護師がグリーフケアに伺うと、息子さんが葬儀で使った写真を出して、近所の仲間と並んだ姿を見て、当時の様子を教えてくれました。
「この辺はね、婿養子が多くて、みんな仲間意識があってさ。仲良くしていたんだよ。優しい男ばっかりだよ」
新型コロナ感染予防のため他県からの面会は制限されていた時期です。3人の子供が揃っている時に、その想いに応えるように穏やかな時間を過ごしたEさんは、与えられた寿命を生ききったのだと思えてなりません。
話を聞きながら、退院した時に息子さんが「自分でトイレに行けなくなったら、家で暮らすことは無理」と話していたことを思い出しました。
愛情深く父親を想い介護していく中で、最期まで家で過ごすことを選択したのだと改めて思いました。
遺影のEさんの笑顔は、今の息子さんの様子を喜んで見てくれているように感じるのでした。
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