最後まで家で過ごす~母と息子~
生き物は、産まれた時から終着駅に向かって歩いている。
必ず、訪れる死から目を背けず、それまでの時間を大切に生きて欲しい。
人生の幕引きには色んな形があっていいと教えてくれた在宅で出会った方たちと看護師のお話です。
Bさんは90代女性。8年前に病気をしてから歳を追うごとに弱り、介護保険を利用していました。
年末に腕を骨折してから意欲が落ちていて、年明けから食事量が少なくなりました。近くのクリニックで点滴治療を受けていましたが、総合病院に行くよう勧められて受診しました。
脱水の診断で入院をして点滴治療を受け、食事がすすめられるように、言語聴覚士が飲み込みのリハビリをしました。
目を開けて、しっかり起きていればゼリーを食べられるようになりました。
息子さん二人には、医師から「加齢による変化もあるため、前の状態に戻ることは望めない、これからできないことが増えていく」と説明がありました。
元に戻れない状態だということを受け入れて、これからどう介護していくかを兄弟で悩み、看取りの場所として家で暮らすことを希望して退院調整となりました。
Bさんは長男家族と暮らしていましたが、長男夫婦は仕事のため昼間の関わりは難しく、デイサービスを利用していました。家族が帰宅した夜は、長男の奥さんが介護をしていました。
デイサービスの送り出しや迎えの時間は、近くに一人暮らしをしている次男さんがBさんの部屋を訪ねていました。
デイサービスでは相手を選んで会話をして、方言は話さないそうです。世間話は好きではなくサバサバした性格だといいます。
ケアマネさんから、私たち訪問看護師は、この情報を受けて、病院の退院カンファレンスに出席しました。
食事は手伝えば飲み込めますが、食事を口に入れていい覚醒状態かの判断は、家族だけでは難しいと病棟から説明がありました。
食事量が少ないということは、マウスケアが必要ですが、痰が増えて吸引が必要な時もあるようです。家族は吸引器を使うことが怖いと思っているので、おむつ交換や体の向きを換える指導に加え、吸引指導受けて家に帰ることになりました。
介護体制を家族と整えることの中で、もう一つ大事なことがあります。
家で最期まで暮らすには、往診してくれる在宅医がいないといけません。
カンファレンス前に、かかりつけ医へ長男と次男が揃って相談に行きました。家で最期まで過ごす希望を伝えたところ、医師から具体的な話がありました。
「夜間に亡くなった場合は翌日の往診で確認、土日の場合は前もって対応方法を相談」
長男さんは「もう覚悟はできている」と話し、次男さんは「自分が穏やかでいられれば、本人はいい影響を受ける。家族の声や家の匂いが、母の安心になる」「介護は慣れれば大丈夫」と病院や在宅スタッフを前に話しました。
私たち訪問看護師は、「変化を一緒にとらえて、その時の最善を考えて行きましょう」と伝えました。
介護保険は、介護ベッドの貸与と毎日午前の訪問介護、毎日午後の訪問看護を予定することになりました。
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退院して家に着く時間にケアマネ、訪問介護と私たち訪問看護師が伺いました。
Bさんは熱が高くなっていて、衣類や布団などの調整とエアコンの設定を確認して環境調整をしました。次男さんには、効果的な熱の下げ方として、腋や足の付け根の体幹を冷やす方法を説明しました。
私たち看護師は、その足でかかりつけ医のクリニックに寄って、今日の様子を報告しました。看取りの時のことを確認することも目的でしたが、あいにく診療が忙しく医師とは面談できませんでした。
翌日、医師から電話連絡をもらいました。家族からは、まず訪問看護師に電話をもらい、どの状態で看護師から医師に連絡するかを決めて、かかりつけ医の電話番号を確認しました。
この医師への連絡のタイミングや伝える手段は、医師によって考えが違うので、確認が必要だと思っています。
家族が医師と上手くつながるように関わりたいからです。
Bさんの家族も退院前に医師と面談していましたが、お互いが想像していた対応とは少しすれ違う場面がありました。そこは、間に入って家族の誤解は解けました。
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退院してからのBさんは目を閉じている事が殆どですが、難聴があるので、耳元で説明すると、マウスケアの時は口を開けてくれます。その後は、次男さんの介助で、とろみを付けた水を飲みました。
私たち看護師は、病院のおさらいを早速始めました。
痰は多くありませんでしたが、次男さんに在宅用の吸引機を使い、痰の取り方を説明しました。吸引機を使うことが怖い家族に、少しずつ慣れてもらうことは、本人と家族にとって重要なことだと思っています。
口や鼻に痰が見えて、家族が苦しそうだと感じる場面に出くわさない保証はありません。その時に「何もできなかった」と家族に後悔して欲しくありません。
気管までの痰を取りきることは吸引に慣れた医療職しかできないことが多いのですが、苦しそうな場面で、緊急コールをした時に、看護師が到着するまで待つ間に、家族ができることの1つになるからです。
Bさんの栄養量は少ないはずですが、頼もしいことに回復力があるようで、入院中にできた寝だこは良くなりました。
訪問看護の時間は次男さんが必ず同席して、今日の状態変化を一緒に見ました。
どこに変化があって、これからどこに気を付けて看たらいいかを次男さんと確認しながらケアをしました。
ケアを一緒にする時に見かける大きな油絵は、父親が生前描いた物で、母親は着物を着て花を生けるのが趣味で、夫婦揃って芸術肌だったと次男さんから聞きました。
退院した日に「今朝、庭の梅が咲き始めたんです。この日を帰る日に選ぶと思っていました」と次男さんが言った意味がわかりました。
庭から見える四季折々の花をBさん夫婦は楽しんでいたのです。
私たち看護師は、家族が毎日どう関わりたいと思っているのかを感じて、実践できるように関わりました。
次男さんは毎日お母さんの元に通って、Bさんが起きている時は、何を食べたいかを聞いて介助してくれました。
食べている途中でペースが落ちたら食事介助を中止して、判断しながら食べることをすすめてくれました。
入院中にしていた点滴は在宅(家)では行わなかったので、口からのめる分のトロミ付きの水分が体に入っていました。
水分はBさんの少しずつお休みしている体には、丁度消費できる量だったようです。
胸がゴロゴロと鳴ることはなく、痰は少なく、体の浮腫みもありません。
とても穏やかな顔で、息子さんたちの声に反応します。
私たち看護師ができることは、家族との時間を安心して過ごせるように、今できることや、今後起こりうる事を説明することでした。
お別れになった日、長男さんは「梅の花が咲くタイミングで帰って来てくれてよかった」、次男さんは「病気をしてから8年間、よく頑張ったね」と話しかけました。
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グリーフケアで後日家に伺って、遺影を前に家族から話しを聞きました。
(グリーフケアとは、遺族の死別後の悲嘆のケアです)
私たち看護師は、家族と共に最期までを過ごさせて頂いた者の一人として、家に伺いました。
次男さんは写真を整理して、大切な母親との思い出を振り返っていました。
厳選した写真をハガキにして、お世話になった方に配っているといいます。そのハガキは帽子をかぶった笑顔のBさんと『ありがとう』の文字があります。写真の背景は花畑で、息子さんと出かけた時のものだそうです。
「家に帰ってきて良かったよ。あのまま病院で最期を迎えたら、気持ちの整理がつかなかったと思う。最後まで家にいられるって、もっと世間に知って欲しい」と次男さんは言いました。
息子さんたちは、自分たちの生活を続けながら同時進行する介護の中で、お母さんとの別れを考えずに過ごしていました。在宅看取りを最初から望んだのではなく、老衰に向かう親を看ていくために、最後の最後に家を選びました。
Bさん家族が特別なのではなく、大半の家族が同じように、その時の身体状況によって最期をどこで迎えるか選択します。想像しても、現実は目の当りにしないとわからないので、当然なのかも知れません。
私たち看護師は、在宅(家)に帰ってからの5日間を共有させて頂き、この選択が、家族の大切な時間を作ることになったと思いたいのです。