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2020年度第4回哲学カフェOnline報告
テーマ:「あんぱんまん」の正義
日時:10月15日(木)18時〜19時半
参加者:9名(一般2名、学生4名、助教3名)
今回は、絵本『あんぱんまん』(1976)を朗読した後、その内容を題材として議論を行いました。とりわけ、『あんぱんまん』の末尾の作者(やなせ・たかし)からの読者への質問に答えることをゆるやかな目標として、哲学カフェを進めました。
はじめに、絵本『あんぱんまん』と私たちがアニメなどを通して抱いていた「アンパンマン」のイメージの相違点を確認しました(1.)。それから、やなせ・たかし(1919〜2013)からの質問への回答を目指すべく、いま私たちが想い描くヒーロー像とやなせ・たかしのヒーロー像(アンパンマン)との相違点を確認しました(2.)。
1. 「あんぱんまん」と「アンパンマン」との相違点
主な指摘は以下の通りでした。
・口調(台詞)に時代を感じる。
・あんぱんまんの顔が全てなくなる。
・マントがぼろぼろ。
・あんぱんまんの手足が長く、アニメキャラというよりは実在するニンゲンの体型である。
・あんぱんまんが助ける相手は、人間。それも迷える人々(旅人や迷子)。
・あんぱんを差し出すとき、食べる側が「ごめんなさい」と言う。
・夕日を背にした場面から始まる。
総じて、アニメの「アンパンマン」がメルヘンで可愛くデフォルメされているのに対して、絵本の「あんぱんまん」は現実描写に近く、生々しさや迫力があるという共通理解が得られました。
2. いまの世界が求めるヒーローとは?:やなせ・たかしからの質問への回答
やなせ・たかしが『あんぱんまん』の「あとがき」で読者に向けた質問文は次の通りです。
子どもたちとおんなじに、ぼくもスーパーマンや仮面ものが大好きなのですが、いつもふしぎにおもうのは、大格闘しても着ているものが破れないし汚れない、だれのためにたたかっているのか、よくわからないということです。
ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。そしてそういう捨身、献身の心なくしては正義を行えませんし、また、私たちが現在、本当に困っていることといえば物価高や、公害、餓えということで、正義の超人はそのためにこそ、たたかわねばならないのです。
あんぱんまんは、やけこげだらけのボロボロの、こげ茶色のマントを着て、ひっそりと、はずかしそうに登場します。自分を食べさせることによって、餓える人を救います。それでも顔は、気楽そうに笑っているのです。
さて、こんな、あんぱんまんを子どもたちは、好きになってくれるでしょうか。それとも、やはり、テレビの人気者のほうがいいですか。
これを受けて、単純に「こんな、あんぱんまんをこどもたちは好きになってくれるのでしょうか」という問いに答えるのではなく、やなせ・たかしの「やけこげだらけのぼろぼろの、焦げ茶色のマントを着て、ひっそりと、はずかしそうに登場」するヒーロー像といま私たちの世界で求められているヒーロー像を対比させる、という迂回路をとりました。それにより、あんぱんまんの特色やその現代性を浮き彫りにすることが試みられました。
主な論点は次の通りでした。
・傷ついてまで助けるのは、助けられる側にとって重たいのではないか?
・現代の人助け(正義)としては、自己犠牲は重たい?
・あんぱんまんの正義は博愛主義ではないか?
・愛と勇気だけが友達とはどういうことか?
・あんぱんまんは孤軍奮闘するヒーローであるが、最近はヒーローもチームワーク(協力)を好むのではないか?
討論を通じて、やなせ・たかしが戦争経験のなかで確信した人助けをするヒーロー像と現代日本でボランティアに象徴されるような人助けのイメージに看過できない変化があることが明らかになりました。もちろん、戦争や極限状態では、人を助ける時には、危険や自己犠牲を伴うことに異論はでませんでしたが、現代人の一感覚として、そうした深刻な(重たい)状況で要請されるヒーローよりも、日常でお互いに、無理なく助け合う人助けのイメージの方がヒーロー像として親近感がもてるのではないか、という意見が多数、寄せられました。
時代に応じて、人間が想い描くヒーロー像に変化があることを確認したうえで、「正義を象徴するヒーローに求められるのは何であるか?」という問いを再考する機会になったと思われます。性急に答えを出すことはあえてしませんでしたが、議論によって炙り出された問題意識をそれぞれ持ち帰ることができたのではないでしょうか。
鳥越 記