小指をぶつけたダイコクさんとふてくされた兎 5/8【短編小説】
その場所は、黄金の稲穂が揺れる棚田が美しいところだった。
ダイコクさんは、路肩に駐車すると、後部座席のドアを開け、トビキチをキャリーごと車から出した。
トビキチは、キャリーから出るなり文句をたれた。
「なんでこんな紐で繋がれなきわゃならないんだ」
トビキチには、ダイコクさんがペットショップで買ってきた兎用のリードがつけられている。ベストの様な服を着て、その背中に紐がついている。
「山中は危険なんだよ。トンビやタカに拐《さら》われてからじゃ遅いし。リードがあれば、人間ごとは引っ張りあげれない。トビキチ、この前ベランダのカラスに怖がってたじゃないか」
ダイコクさんは、トビキチに着せたベストのベルトが締まりすぎてないか、指を差し込んで確認する。
「よし。じゃあ、行こうか」
ダイコクさんはズボンのポケットから地図を取り出して言った。棚田横の坂道を上がって行くと、蜘蛛から聞いていた神社はすぐに見つかった。地図もいらないほどの距離だった。
「ようこそ、お越しくださいました」
蜘蛛は、鳥居の足元で待っていた。トビキチは蜘蛛を見るなり、挨拶もそこそこに、で、やつは、と言った。
ダイコクさんが、慌ててトビキチを制止する。
「トビキチ、まずは手水《ちょうず》と神様にご挨拶を……」
トビキチは、フンと鼻を鳴らしたが、素直に頭を下げて鳥居をくぐっていった。
拝殿の前に立ち、手を合わせると、正面から、すう、と風が吹いた。
ーーよくぞ参られた……。
神様だ。
ダイコクさんたちは、黙《もく》したまま、神様の言葉を聞く。
また、風が吹く。
ーー池のものを、スクイだしてくれ……。
ダイコクさんは、はて、と思った。スクウ、とは。池から掬《すく》い出す、ということか。それとも……。
風がやんだ。
あたりを見回すが、何も変わらない様子だった。トビキチは、いつものように鼻をフスフスと鳴らしていた。
ダイコクさんとトビキチは、神様の話のあと、蜘蛛と一緒に池を覗いてきた。確かに、魚が一匹ゆったりと泳いでいた。
最初は、網で掬おうとした。だが、魚は網の先を水に浸けた瞬間、消える。網を上げると、どこからともなく現れる。そしてまた優雅に泳ぎ出す。次に、釣り竿をたらした。毛鉤《けばり》の先が水面に触れただけでも、魚は消えた。その後も、どうにか魚を捕まえようと試行錯誤したが、石に躓《つまず》いたダイコクさんが池に落ちて、自分もまわりもびしょ濡れになったところで、いったん作戦会議を行うことになった。ダイコクさんが、池から這い上がる時、センリョウの枝を|つかんでしまったため、蜘蛛の巣が半分ほど切れてしまった。
蜘蛛の案内で、社務所に入った。
「人が入らず、もう手入れもされていない所ですが、ここなら腰を落ちつけて、作戦を考えれます」
「申し訳ない」
ダイコクさんは土下座していた。
「いいんですよ。巣は、あれが現れてから、どうせ毎日のように張り直していたのです」
蜘蛛は、優しく気遣うと、
「では私は、巣を今一度張り直して来ますので、はい。では、また」
そういうと、急いで出ていった。
「トビキチ、どうしようか」
ダイコクさんは、シャツを絞りながら聞く。濡れた服の替わりは、社務所にあった浴衣を借りた。
トビキチは、前足で髭の手入れをしている。ダイコクさんが池に落ちた時、トビキチも顔に水をかぶってしまった。トビキチから、後ろ蹴りをお見舞いされたのは言うまでもない。
「どうもこうも、こりゃあ、綱引きするしかない」
ダイコクさんは意味が分からなかった。
「綱引きだって?」
「ああ、綱引きだ。でも、普通の綱引きじゃないぞ。十五夜の綱引きだ」
(続く)
この作品は小説投稿サイトエブリスタに載せていたものです。