【小説】熊阪にわか
今日もミトウの提灯に灯りが灯る。
通いつめるのは、狐狸(こり)、古狸(こり)、狢(むじな)、ドジョウにイモリ、兎(と)、雁(がん)。シジミチョウ、アゲハチョウ、オオミズアオ。ベンテンサマとダイコクサマ。
小さく笑うか、大きく泣くか。やかまし、せからし、にぎやかし。盃がならぶ、酒がつがれる、匂いたつ。
ここは居酒屋ミトウ。ミトウは語らいの場。好きに集まり、好きにしゃべる、さけぶ、歌う。真面目な話も辛い話も、すべて最後は笑い話に変える。これがミトウの様式美。
居酒屋の夜は、長い。
さて、と一言で注目を集めるのはミトウ店主の婆さんであった。
「酒は一人一升まで、つまみは八尾ゴボウのおひたし、おでん、から揚げ」
歓喜と野次がごちゃ混ぜで店内が震動し、拍手がそれを打ち消した。
産山兎(うぶやまうさぎ)が立ち上がり、机に手をつき、声をあらげた。
「酒は頂く。が、兎の食えるものがない!」
まわりから賛同の声は上がらない。
「ゴボウのおひたし食ってろ」
どこからか反論が聞こえた。産山兎は即座に訴えた。
「ゴボウなんて根っこじゃないか」
「馬鹿野郎、八尾ゴボウは葉の部分を食べる高級ゴボウだ」
その一言をきっかけに賑やかし担当の狐狸の暴言が止まらなくなった。
「知ったか野郎」
「食わず嫌いか」
「草食ってろ」
「山に帰れ」
「お前の耳は節穴か」
最後の一言、これは兎に対する最高の嫌みだ。
間髪入れず産山兎の蹴りが狐狸に向かって炸裂するも、狢の吐いた葉巻の煙に撒かれ、なかなか当たらない。そうこうしてるうちに他の者は食事を進め始めていた。馬鹿らしくなった産山兎は、静かに席につき、何食わぬ顔で酒をちびりちびりやりだした。狐狸も何食わぬ顔で産山兎に酒を注ぐ。
「まあまあ、酒があれば足りるだろ? 知らんけど」
ケタケタ笑っていた。狢は変わらず葉巻をふかしつづけていた。
ーー適当なことばかり言いやがって……。
産山兎は内心毒気づくと、ふいと顔をそむけた。その先には、ドジョウとイモリがいた。
いつの間に用意したのか、木桶の湯で、まどろんでいた。ドジョウの方は半身浴だ。イモリは桶の縁に腰かけて足をブラつかせている。
「冬は熱燗にかぎる」
と、言うドジョウの鼻からは湯気が抜ける。対してイモリは、真っ青な切子をかかげ、
「私は冷え冷えの冷酒です。乾杯」
ぬくそうな陶器のお猪口と氷のようなガラスの切子がカチリとぶつかると、跳ね返されたようにそれぞれドジョウとイモリの口元へ飛び込んでいった。
両者の喉が躍動する。同時に目が細まる。うまいうまいと頷きあう。
産山兎も湯に浸かって一杯どうかと誘われたが、断った。毛が濡れる。ドジョウとイモリは、毛多種の生き物は大変だとケタケタ笑いあっていた。
ーーハゲどもめ……。
コケにしたかされたかしたたかか。
兎が、ふん、と鼻を鳴らしたら、鱗翅目の虫たちに怒られた。
ーーお気をつけ遊ばせ。
ひらひら2匹が両耳の先にとまった。そしてもう1匹は鼻の先に。
「鼻息が荒くってよ」
「翅が折れちゃうじゃない」
「鱗粉が飛ばされちゃう」
鼻先がむずむずして、豚のようなくしゃみがでた。同時に耳も大きく揺れた。
怒った3匹は、兎の酒を吸い尽くすとどこかへ飛んでいってしまった。
「なんなんだ。いきなり喧嘩を売っておいて」
がなると、後ろの席にいたベンテンサマがなだめてきた。
「まあまあ兎殿。琵琶でも聞いて」
ベンテンサマは右の衣の脇から琵琶をするりと取り出した。
撥が流れる。
弦が歌う。
ベンテンサマの声が、踊る。
いつのまにかミトウの店内にいる全員が、ベンテンサマの琵琶の音に聞きいっていた。
雁がふわりと飛び、産山兎の頭にとまった。
「ちょいと失礼」
「耳を掴むなよ」
兎が上目で雁を睨む。
「例の山より怖いなあ」
雁がそう言うと、孤狸がまた口をはさんできた。
「兎の頭は雁回山より恐ろしいぞ」
「かちかち山の悲劇をしらんのか」
狸がわざとらしくきゃあと悲鳴をあげ、背中をさする。
「黙れくたばれ腐れ狸」
兎がキッと睨むと、また孤狸は狢の煙に隠れた。と、思ったら二匹ともダイコクサマに背中をつままれて出てきた。
「みな、静かに聞きなさい」
そしてまた、ベンテンサマの琵琶の音が店内をゆったり流れ始めた。
産山兎はダイコクサマのとなりに座った。
ーーこいつのとなりが静かでいいや。
まわりの者たちは、扇を取り出したり、茶釜に化けたりしてどんちゃん騒ぎをしている。蝶たちは、ベンテンサマの髪飾りに落ち着いたようだ。狢は相変わらず葉巻をふかしつづけている。
朝陽が、店内に射し込み始めていた。ミトウの婆さんは、すでに明日の仕込みにとりかかっていた。
続?