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ノケモノの地下城 34【長編小説】
弟ができた。十歳のころだった。博人は、新しい家族に喜んだ。
幸人、早く大きくなって欲しい。一緒に遊びたいな。
そう、思っていた。そしてその平和な感情は、いつまでも続くと思っていた。幸人の出生の秘密を知るまでは。
月に一度、父は車で、まだ幼い幸人を連れて出かけた。博人はそれが不思議だった。
ーー幸人は病気だから、病院に通っているんだ。
父と母はそう言うが、博人には幸人が病気には全然見えなかった。こんなに元気なのに。
病院へ一緒に行くと言っても、適当にあしらわれ、連れて行ってくれなかった。だからある時、こっそりついて行った。
博人は、車の後部座席、三列シートの一番後ろに布をかぶって隠れていた。父は、いつも通り幸人をチャイルドシートに乗せると、運転席へまわった。一番後ろの座席は、ほぼ荷物置きにしか使っておらず、父は博人に気づかなかった。父と幸人と博人を乗せた車はそのまま出発し、三十分ほど走ると、ある家の駐車場に入った。車から、父と幸人が降りる。ドアを閉める直前、男女の、二人を迎える声が聞こえた。
「いらっしゃい」
「幸人、お帰り」
お帰り?
ドアがバタンと閉められた。
博人は布をかぶったまま、そっと窓の外を覗いた。父と幸人、見知らぬ男女の四人が家の中へ入って行くのが見えた。
お帰りって、どういうことだろう。それにこの家は、誰の家なんだろう。
表札を見ると、衣川と書かれていた。衣川?誰だ?
博人は車を出て、家の裏庭へまわった。家をぐるりと囲む草木が、ちょうどよい具合に博人の姿を隠してくれた。裏庭からは、和室が見えた。和室では、幸人が女の人と遊んでいた。電車のおもちゃを楽しそうに振り回す幸人。
よかった。やっぱり幸人は元気じゃないか。病気は嘘なんだ。でも、なんで嘘を?
博人は、父と母の嘘に困惑した。と、縁側《えんがわ》の突き当たり、博人が隠れている草むらと壁一枚を隔《へだ》てたところから父の声が聞こえた。
「幸人は、いつまで連れて来たらいいんだ?」
「もう少し頼む。洋子が、幸人を見ると落ち着くんだ。私も幸人が可愛くてな」
父は誰としゃべってるんだ?
「こんなことなら、代理母なんて必要なかったじゃないか」
「それは、すまないと思ってる。でも、洋子はまだ十八だったんだ。あんな年端もゆかない娘に子どもをなんて……。ちと、酷だ。それでなくとも洋子は両親を亡くしたばかりで……」
「それは分かってる。でも、幸人ももう物心がつく年になる。いつまでもは無理だ。早めに話し合っておいてくれ」
「ああ」
博人は静かに聞いていた。父は何を話してるんだろう。
「幸人は、あんたたちの子どもだが、蔵谷で育てると決めただろう。病院へ行くと言って連れ出してるが、博人も最近、怪しんでる」
博人は自分の名前が出て、ドキリとした。そして何より……。
ーー幸人はあんたたちの子どもだが……?
どういうことなんだ。幸人は僕の弟なのに。知らない人の子どもって。
博人は、自分が隠れていたことなど忘れ、草むらから飛び出ると、靴のまま縁側に入りこんで、父の前に立った。
「幸人は、僕の弟だよねっ」
父と男の人は、驚いて目を見開いていた。
「ねえっ、父さんっ」
父は、静かに言った。
「そうだ。弟だ。だから二人で助けあって、な」
父は悲しそうな顔をしてそう言った。
(続く)
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