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ノケモノの地下城 8【長編小説】

翌朝、私は市バスに乗り、清藤姉弟の事務所がある花畑町に向かった。役所やオフィスが立ち並ぶこの町は、熊本城の目と鼻の先にあり、商店街も近い。
約束の時間より三十分ほど早く着いたので、久しぶりに町と城の間を流れる坪井川沿いを散策することにした。
坪井川は、熊本城のお堀代わりにもなっている川だが、城周りの水深は底が見えるくらいに浅い。その川を鯉が悠然と泳いでいる。背に朝陽を受け、キラキラと輝いている。私の横を朝のランナーが一人、二人走りすぎていった。
行幸橋《みゆきばし》まで歩き、近くのベンチに腰をおろした。バッグから昨日の書庫で見つけたあの黄ばんだ地図を取り出す。父と兄の目を盗んで持ち出した、祖父との思い出の地図。あらためて見直すが、やはり龍の絵が消えている。中央に大きなクスノキ、それを取り囲む桜と小川、それから龍の絵が描かれていたはずなのだ。
「大きくて、キラキラの……」
祖父が指で何度もなぞるのを確かに子どものころ見たのだ。
「あれ、幸人くん」
後ろから声をかけられ振り向くと、清藤姉弟の弟、清藤朋広《ともひろ》がランニングウェア姿で立っていた。
朋広の日焼けした顔からは汗がしたたり落ちている。
「とも、今から事務所か」
「そうだよ。いつもランニングしてから行ってるんだよ。ねえ、それが今日依頼しに来るっていってたやつ?」
ともは、首からさげたタオルで汗を拭いながら、私の隣に座った。
「いや、これは違う。違うけど……」
そういってまた地図を見た。
「これな、子どものころ見たときは、龍の絵が描いてあったはずなんだけどな。なんで、消えてるんだろうと思って見てた」
ともは、そうだねえ、と言うと、
「子どものころの記憶じゃねえ。違うのと勘違いしてるとか?」
そっけない答えだった。顔同様に真っ黒に日焼けした足をぶらぶらさせて、いかにも興味なさげだ。
だけど、と私は思った。この地図を見たとき、祖父との思い出と同時に、あの時の地図だと確信めいたものを感じた。それは私が子どものころから見る正夢の感覚に近いものだった。夢が現実なる不穏な気配……。
黙っている私を横目にともは、ああ、走ったから腹減った、といってベンチから腰を上げた。
私は腕時計を見た。そろそろ約束の時間だった。
「とも、事務所行くか。遅れると亜紀姉ちゃんに怒られる」
「あ、それなんだけどさ、姉ちゃんキャンセル。別件入ったって」
「え?」
「だから俺が依頼聞くよ。夏休み中だから。俺が代わりにその仕事する」
まずい。
「だめだ。お前、まだ見習いだろ」
「見くびらないでくれたまえ、幸人くん。俺はこの夏、進化するっ」
「何が進化だ」
「まあまあ。俺は調査だけして、精査と結果報告は姉ちゃんからするからさ」
私は頭を抱えた。こういうことか。兄が気を付けろと言ったのは。家に帰ったらどやされそうだ。
「幸人くん、じゃあ、まずは腹ごしらえに行きますか」
「何言ってんだ。先に仕事しろ」
しかし私の言うことを無視して、ともは足取り軽やかに歩きだした。

(続く)


この作品は小説投稿サイトエブリスタに載せていたものです。

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