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ノケモノの地下城 15【長編小説】

呉服町《ごふくまち》の砧屋前に幸人は立っていた。
ここか。
ラミネートカードの店は、ネット検索ですぐに見つかった。「砧屋」は「きぬたや」と読むらしい。
店の軒には、風鈴がいくつもぶら下がっている。バッグに紛れ込んでいたカードが気になって店まで来てしまった。これも、熊本に来てから続いてる虫の知らせだ。変な夢は見るし、地図を見て不安にかられる。神経質になっていると思う。思うが、これらのカンが子どものころから大抵当たるものだから、気になることがあると調べておかないことには夜も眠れない。
店では、何かのレッスンをしているようだ。数人の女性が編み物のようなものをしている。と、こちらに気づいた女性がドアを開けてくれた。
「何かご用でしょうか」 
「すみません、このカードを届けに来たのですが」
私は、バッグから出てきたあのラミネートカードを見せた。
「あら、これ洋子さんの。ねえ、洋子さん、失くしたって言ってたカード、見つかったわよ」
女性が中に向かって言った。
「今、持ち主来ますからね」
私の返事を待たず、女性は中へ戻っていった。
ぬるい風が吹いた。風鈴の涼しげな音とは対照的な、じりじりした陽に頭を焼かれ、額からは汗が流れる。間もなく「洋子さん」は出てきた。
「あら、昨日の電車の?」
私は会釈して頷いた。
「すみません、昨日は。カードまで、わざわざありがとうございます」
洋子さんは、笑ってお礼を言ってくれた。やはり路面電車でぶつかった人だった。ぎこちなく片足を動かし、手には水色のブランケットを持っていた。
「いえいえ、えっと、それで……」
私は、名字のことをどう切り出したものかと逡巡していると、後ろから声をかけられた。
「おや、蔵谷くん。砧屋クラブに入会希望かい?」
振り向くと、衣川先生が立っていた。ドキリとした。額にべたつく汗が冷や汗に変わる。そんな私の後ろで洋子さんが言った。
「お帰りなさい」
衣川先生は、ただいま、といって一歩進む。
「あの、先生」
私は言いかけて、先生の手にある黄ばんだ紙が目にはいった。
「ああ、蔵谷くん、ここ僕の家でね」
「いや、あの」
その手のものは。
「ちょうどよかったよ、蔵谷くん。地図のことで言わなきゃいけないことがあった。冷たい麦茶でも飲みながら話そう」
先生の笑った口から、八重歯が見えた。着流しにカンカン帽をかぶって、この炎天下でも涼しげな先生。
たぬきだ。あのよく見る信楽焼《しがらきや》きのたぬきが思い浮かんだ。笠《かさ》をかぶり、左手に徳利《とっくり》、右手に通帳を持ったたぬき。先生の右手には、通帳ではなく黄ばんだ紙があったが。
またも、ぬるい風が吹いた。いくつもの風鈴が一斉にチリンと鳴った。
たぬきが笑った。
「さあ、入って」
にやりと、笑った。

(続く)


この作品は小説投稿サイトエブリスタに載せていたものです。

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