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ノケモノの地下城 35【長編小説】

ーーたぬきやたぬき。ばけものけもの。そこないたぬき。たぬきやたぬき……。
衣川洋子は、歌いながら江津湖《えづこ》の洞までの道を進んでいた。
か細い、小さな声は、洞の亀裂《きれつ》をつたい、ノケモノたちに届く。
その声に、一人は苦悶し、一人は悲しみ、一人は懐かしんだ。
 
篠崎耕造は、その声に顔を歪めた。罪人と衣川寛文とともに、江津湖へ向かっている途中の洞だった。
あの娘の声が聞こえた……。
ーーあなたから水をもらわなければよかった。
娘の言葉を思い出した。
あの娘は、私を恨《うら》んでいる。娘の両親が亡くなった原因は、私だ。私は、あの娘が望むなら、自分の息子すら裏切らなければならない……。
篠崎耕造は、暗くよどんだ目で、先を行く罪人と衣川寛文の背を見つめた。
負の感情が、耕造の心に降り積もっていった。

先頭を進む衣川寛文は、その声に涙した。たぬきの面の内側が蒸れる。
洋子……。
蔵谷幸人にあの地図を渡した夜、洋子は家を出て行った。正確には、蔵谷博人と清藤亜紀に連れ出されたようだが。とうとう、私は洋子を救うことができず、計画を進めることになった。
地下水脈の汚れをろ過しなければ……。ろ過を。そのあとは……。

清藤朋広と江津湖の洞へ向かっていた蔵谷幸人は、その声を聞いて立ち止まった。
清藤の事務所で秀ちゃんに資料を奪われたあと、秀ちゃんを追うと言って聞かないともを説得し、洞へ向かっている途中だった。
「幸人くん、どうしたの」
ともが苛立《いらだ》った声で言う。
「悪い、急ごう」
洞の中に響く声が、ともには聞こえないのだろうか。それとも、私の耳がおかしいのか……。この声は、母の……。いや、母の声じゃない。
幸人の脳裏に、白日夢の記憶がよみがえってくる。
あの冬の庭で、幼い私を暖めてくれたのは母だったか?
いや、あの女性《ひと》は……。あの女性は……?
洞を走りながら考え続けた。

(続く)


この作品は小説投稿サイトエブリスタに載せていたものです。

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