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#4 ルールと許容について
12月の初め、自転車乗りにとっては、どういうレイヤリングで走りに行くか悩ましい時期である。
一見寒いが、厚着は走り出すと汗ばんでしまう。
ちょっと遅めの午前10時に自宅を出発し、東京の西の外れ、神奈川の相模との境界に位置する和田峠を目指した。
峠には表と裏があり、陰陽の如く、北斜面は寒く、南斜面は日があたり暖かく、景色も良い。
この和田峠は、表である北斜面は中々の勾配で、景色も頂上付近に一瞬八王子を見渡せるところがあるが、基本的に鬱蒼とした山の中をひたすら苦行する峠道であり、サイクリングと称するにはお勧めできないものである。
裏の南斜面は、一時期毎年のように登っており、馴染み深いもので、今回も裏を走ることとした。
この和田峠に至るまでの経路として、やはり多摩川サイクリングロードを走るのだが、ここのところ非常に気性の荒いランナーが多い。
府中市や、多摩市あたりのサイクリングロードは、4車線となっており、外側は歩行者の上下線、内側が自転車の上下線となる。
サイクリングロードは、度々堤体上から堤外地へヘアピンカーブで降りるところがある。
ランナーが登ってくる時、コーナーもずっと内側を走ってもらえれば問題はないが、彼らはへばってる上、判断力も、鈍っているため、はらんでクロスしてくることがある。
この日も運悪くこの場面に出くわしたため、スピードを落として、相手の出方を見て、やり過ごそうとした時、向かいのランナーは少しはらんで元の内側に戻ってきた。そして通り過ぎざまに罵声を浴びせてきた。
場所にはルールがあるが、ルールを守れる人とそうでない人がいる。ルールに囚われすぎて、寛容な対応が取れなければ損をするのは自分である。ルールに則った行動は、非がないという主張には強いが、根本を考えると、事故らないようにすることが我々の行き着く先であり、その手段の一つがルールである。
ルールを重んじて事故に遭うのは本望ではなく、事前の可能性を想像して、柔軟に対応する心を持ち、事故らないようにするのが肝心だと思う。
ルールが完全なる正義であれば、心遣いや、優しさなんというものは無駄なものであり、時代遅れの文化に成り下がってしまう。
我々は、お互い過ちを犯す人間同士であるのだから、お互いでうまくやっていこう、という気持ちを捨ててはいけないと思うのである。
和田峠を登りながら、そんな風に回想したのであった。