転職を繰り返す夫に対する妻の本音
「よくOKしたね!」
夫が教員とたこ焼き屋をやっていると説明をすると、
かなりの頻度で「よくOKしたね」的なことを言われる。
ネガティブな意味合いではなく、
驚きと称賛の意を込めたものと受け止めている。
教員とたこ焼き屋を兼業する前にも、
夫は複数回転職をしている。
私は、最初から夫の転職に寛容な妻だったわけではない。
反対だった最初の転職、その理由とは
夫の転職遍歴はざっとこんな感じ。
改めて書き出してみると、結構変わっていることに気付く。
一方で、妻である私は、
大学卒業後、ずっと同じ自治体で行政保健師というシンプルな職歴。
余計に夫の職歴の変化は目まぐるしく感じる。
この転職遍歴の中で私が1番戸惑ったのはどれか。
それは、
国立大学事務職員を辞めて、教師を目指すと言ったときだ。
大学時代から付き合っていた夫とは、
交際中から結婚を決めている間柄だった。
院進学をやめて、
3ヶ月後の8月には、
大学事務職員になることが決まった。
同年の11月に同棲を開始し、翌年5月に入籍。
入籍して1年くらい経つと、
そろそろ子どもを持つ計画をたててもいいかもと
私は、考えるようになっていた。
そんなタイミングで、
夫から中学校の先生になりたいと打ち明けられた。
その時、夫は教員免許を持っておらず、
これから、通信制の大学に編入し、
働きながら免許取得を考えていると言った。
当時していた大学事務職員の
仕事は楽しそうにやっていたし、
繁忙期には忙しそうだけど、
そこまでブラックという感じではないようすだった。
今から、資格取得からとなると、最低でも1年はかかる。
その後、就職活動はうまくいくのか?
就職はうまくいったとしても、中学の先生ってめっちゃ大変では?
朝から晩まで働き詰めでは?ブラックでは?
精神が病むのではないか?
そんなことが頭をよぎり、
反射的に、夫の転職を反対していた。
すると普段、
穏やかで怒ることがあまりない夫が、
どこか悲しそうに怒っていた。
「じゃあどうしたらいいの?」
振り返ると、
私の反対理由はとても身勝手だった。
自分がそろそろ子どもがほしい。
今の生活を変えたくない。
また、
私が反対理由として挙げたのは、
未来への漠然とした不安だった。
就職うまくいかないかも。
職場がブラックかも?
激務で病むかも。
確かにそうかもしれない。
でも、起こるかもわからない悪いことをあげられても、
現時点で出来ることがない。
その間の家計はどうする?という
具体的かつ実際に起きうる不安であれば、
どれくらいのお金が必要なのか算出したり、
収入を得る方法を考えるとか
具体的な対策を練ることができる。
でも、
起こるかもわからない不安には、
対策の施しようがない。
その上、
その不安事象が絶対に起こらないから大丈夫だなんて、
誰にも言えない。
少なくともその不安を解消させる方法は現時点ではない。
ただ不安だからダメと言われた夫は
「じゃあどうしたらいいの?
何をしたらOKとなるの?」
と途方に暮れてしまったのだろう。
夫の「じゃあどうしたらいい?」の言葉で、
その事に気付いた。
自分の漠然とした不安を理由に反対をすることは、
話し合いの余地を無くさせてしまう、
とても、アンフェアな態度だ。
そう思い直し、
一晩、気持ちを落ち着かせた後、
私は彼の転職を応援することに決めた。
もう、あとの転職は慣れだと思う笑
さすがにたこ焼き屋さんと言われたときは
「なんで?!」「どういうこと?!」となり、
漠然とした不安も噴出したが、(子どももいたしね)
起こるかわからない不安をぶつけるのは、
違うなってわかっているから、
すぐに気持ちを切り替えることができた。
でも、そう思えるようになれたのは、
私のマインドの変化だけが理由ではない。
「慣れ」に至れたのは、「信頼」があったから
夫は私や娘を何より大切に考えてくれている。
ちょっと極端な表現になるかもしれないけれど、
究極、私たちを路頭に迷わすような選択はしないと
これまで過ごした日々の中で、信じられるようになっていた。
もし、自分のやりたいこと、
ー今で言えば、たこ焼き屋ー
上手くいかず、それにより家計を逼迫するようなことがあれば、
潔く、辞めるなり、
縮小するなりして、私たちの生活を守る方にシフトチェンジするだろう。
今までの行動から、そう信じられる。
そのためには、
健康な心身であることが大前提だろう。
だから、私は、
夫が心身の健康が保てる生き方を応援した方が良いだろうと思い、
今の状況を全面的にOKしている。
自分が公務員として働いているというのも、
夫の転職に寛容になれる1つの理由だと思う。
そういえば、高校生くらいの時から
「夫が心身を病んだ際に、『やめてもいいよ』と言える妻でありたい、
自分の生活を理由に、将来の伴侶を苦しめたくない」と、
考えていたことを思い出す
(将来、結婚することが保証されているわけでもないのにね)。
夫は病んだわけではないけれど、
私は、夫と生きていくのに必要な資質が備わっていたのかも、なんて。