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大人の階段登りたい2025年
こんにちは、ゆいもんことカネゴンです!
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。
2024年はいろいろと目まぐるしい1年でした。
異動があったり、休職してみたり、沖縄に行ったと思ったら、引っ越したり、お金がなくなってみたり、身体と向き合うチャンスがあったり。。
昨年、私は自分の知りたくない、認めたくない面を直視しました。
あまりこの日記には書いてなかったのですが、私は親に過保護・過干渉を受けて育ってきました。
過保護・過干渉って、実は精神的虐待なんだよ。
自分の子どもを信じない、見守るなんて、とても無理ということだよ。
と、言われたところで、分かったところで、
そんなことを私は、29歳にもなって知りたくありませんでした。
成功も失敗も、そこに至るプロセスも、幼くして奪われることが
自分のような人間を生み出すということの衝撃。
でも、同時にだから親と同じように、自分も他社も全く信じられない、自己肯定感の低い人間に育ってしまったんだな~と妙な納得感はありました。
まさかそれがここまで自分の性格、メンタル面にこれまで影響を及ぼすとは思っていなくて、
自分の身の回りのこともろくにできないまま、色んな人に迷惑を悪気なくかけて生きてきたんだ~と気づいてしまって、とってもつらかったです。
これでは、社会でまともなメンタルでやってくなんて、とても無理だったよな、とそこも少しずつ納得しかけています。
去年1年は、そうして生きてきた結果が膿となり、一気に出てきたのだと今では思っています。
そういう自分を直視してからは、自分が嫌だな、やりたくないなと思っていることを機会をいただきながら少しずつ始めました。
でも、それが怖いのなんのって。
ただ自分が思ったこと、感じたこと、考えたことを伝えるのが、
非常に恐ろしく感じるのです。
身体反応もすごくて、心臓は常にドキドキして、息も苦しいし、
姿勢は完全に防御姿勢で肩や首がつねにガチガチ。
思考もできないように全力でぼ~~~~っとさせにかかってきます。
自分が何かの場を仕切るとか、出張るとか、自己主張をするとか。
人が当たり前にやっていることが非常に困難に感じます。
これは今までとても幸せではなかったよね~~。
と認めざるを得ません。
じゃあこれが少しずつでもできるようになったら、それって幸せなんじゃないか?
もしかしたら、自分がやりたいことってこれだったんじゃないか?と信じたい気持ちを持ちながらやっています。
見守ってくれる大人が幸いにして今の私にはいて、時々とても泣きそうになります。
と同時に、なぜお母さんは私をこうやって見守ってくれなかったの?
という悲しい、悔しい気持ちも湧いています。
そういう自分の幼いころの傷も今年は少しずつ癒していけたらいいなと思っています。
そして、大人の階段を少しでも登っていけたらと思います。
なるべく更新できるときにこうして心の変化や思いを書いていきますので、
今年もよろしくお願いします!