権力勾配理論の弊害と欺瞞
いわゆる権力勾配論が狂っていると思うのは「因みに今もアルファベットすら出来ず、1桁の掛け算もままなりません。」ない兼近は日本人男性であるが故に権力勾配の優位者であり、在日女性の一流大学教授は弱者扱いという雑なステレオタイプ化を招くからですね。
このステレオタイプ化は、個人の尊厳を基調とする日本国憲法の体系と非常に相性が悪く、往々にして、権力勾配の優位者と恣意的に決めつけられたものに対する恣意的な差別を正当化し、新たな出生による差別構造を生み出してしまうだけではなく、差別自体を「正しさ」により正当化してしまう。いわゆる反差別界隈、先鋭的なフェミニストの暴走の原因は、権力勾配論の持つ、新たな差別構造の構築とその正当化にあると考えています。
不思議なことに、権力勾配理論の支持者は弁護士を7人も動員し、政治家やマスコミに影響力を持つ仁藤夢乃を庇いつつも、同じように女性である三浦瑠麗を権力勾配論の信奉者達は、権力勾配理論により庇わない。
「権力勾配」論者にはあまりにも露骨な党派性があることは、それを適用する相手を恣意的に選別していることは明らかで、過去の度重なる上野千鶴子氏による露骨な同性愛者に対する差別的言説の数々について苦しい弁明を「勇気ある謝罪」と称賛したり、現にセックスワーカー差別発言を繰り広げる上野千鶴子氏には何の批判もしないなど integrity に著しく欠ける自らの差別性には無自覚という度し難い面々が目立つ。
権力勾配理論は、生来の属性により雑なステレオタイプ化をするだけではなく、権力勾配理論を適用する相手も恣意的に自己が共感できるかどうかで恣意的に選択する。嗤うしかない。